梅毒の起源

 今年1月23日分の記事にて、『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』という本を取り上げましたが、同書の付記では、梅毒の起源をめぐる議論において、学術的な意味合いだけではなく、心理的要素が絡んでいることが指摘されています(P601~606)。同書でも述べられていますが、梅毒は梅毒トレポネーマ(Treponema Pallidum)により惹き起こされます。梅毒トレポネーマにより惹き起こされる症状は4種類に区分されていますが、(1)と(4)は非性的感染となります。

(1)ベジェルと呼ばれ、おもに中東で見られ、口の中やまわりに小さな丘疹ができます。
(2)フランベジアと呼ばれ、世界各地の熱帯地域で見られます。切り傷や擦り傷に感染して潰瘍ができ、なかなか治りません。
(3)おもに性交によって感染し、生殖器に丘疹や炎症ができる梅毒です。丘疹や炎症はやがて自然に消えますが、その後に心臓・骨・脳にまで病気が広がり、死にいたることもあります。
(4)ピンタと呼ばれ、おもに中米で見られます。皮膚だけが冒されます。

 一般的に、梅毒の起源はアメリカ大陸にあり、1492年のコロンブスのアメリカ大陸圏到達以降にユーラシア大陸に拡散したとされていますが、『1491 先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見』の付記で紹介されているように)、梅毒はもともと欧州または世界各地に存在した病気だ、との異論もあります。

 また同書では、梅毒アメリカ大陸起源説の主張者のなかには、ユーラシアからアメリカにのみ病気が持ち込まれ、その逆がないのは「なんとなく不安」だから、という心理的要素が働いている場合もあることが指摘されています。


 梅毒についてこうした議論があるなか、梅毒の起源はやはりアメリカ大陸にあり、1492年のコロンブスのアメリカ大陸圏到達以降にユーラシア大陸に持ち込まれたと考えるのが妥当である、とする研究報道されました。この論文にたいする研究者のコメントもあります。

 この研究では、系統遺伝学の手法で梅毒トレポネーマが分析されました。その結果、非性的感染による発症を惹き起こす亜種が、古くからアフリカ・ユーラシアに存在したことが示唆される一方で、梅毒をもたらす亜種は、最近南米において人間の感染症としてはじめて出現したと考えられます。

 したがって、コロンブスの一団がアメリカ大陸からはじめてユーラシアに梅毒をもたらしたと考えるのがよさそうだ、ということになります。しかし、この研究の短所として、塩基配列の類似性が、二つの標本のいくつかの一塩基多型に基づいていることなどが指摘されており、疑問も呈されています。


 梅毒の起源を遺伝学的に追求した重要な研究ですが、まだ結論をくだすのは早いようです。梅毒の起源をめぐる研究については、現在の梅毒トレポネーマの遺伝学的研究だけではなく、アメリカ大陸やアフリカ・ユーラシア大陸の古人骨の研究も必要となるのでしょう。


参考文献:
Harper KN, Ocampo PS, Steiner BM, George RW, Silverman MS, et al. (2008) On the Origin of the Treponematoses: A Phylogenetic Approach. PLoS Negl Trop Dis 2(1): e148.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pntd.0000148

Mulligan CJ, Norris SJ, Lukehart SA (2008) Molecular Studies in Treponema pallidum Evolution: Toward Clarity?. PLoS Negl Trop Dis 2(1): e184.
http://dx.doi.org/10.1371/journal.pntd.0000184

この記事へのコメント

2008年01月26日 00:34
少し尾籠な話になりますが、私の少年時代、まだエイズの脅威はなく、性行為感染症として「知られ」ていたのは、梅毒と淋病でした。
 梅毒はともかくとして、淋病の起源も新大陸なのでしょうか? 
 私としては、梅毒がコロンブスの艦隊によって持ち帰られたものかどうかはさておき、いわゆる「大航海時代」の到来によって、世界に広まったことは否定できないように思います。
 梅毒といいエイズといい、性行為という人間の一大欲求に関わる病気が「大航海時代」とか、1980年代以降の世界(現代)に広まったのは、ある意味では、興味深い現象に思われます。
2008年01月26日 01:16
中国語では、シャワーのことを「淋雨」と言うそうです。しかし、日本語の語感からすれば、到底そんなものを浴びる気にはなれません(笑)。
2008年01月26日 15:08
医学史に詳しくないので淋病についてはよく分からないのですが、淋病は確か古代地中海世界での記録があるので、アメリカ大陸起源ではないと思います。

梅毒の起源はともかくとして、その拡散はやはり「大航海時代」が原因になっているのでしょうね。

エイズも、交通機関の発展や経済的関係の密接化など、確かに現代の状況が拡散を促進したと言えるでしょう。

しかし、中国と日本の漢字の違いには面白いものがあります。

そう言えば、日本語の遺伝用語の「優性・劣性」は、確か中国では「顕性・不顕性」と呼んでいて、中国の訳語のほうがよいと思っていたのですが、ちょっと調べたら、最近では日本でも優性遺伝を顕性遺伝と呼ぶことがあるそうです。

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