髙橋昌明『平清盛 福原の夢』(講談社)
講談社選書メチエの一冊として、2007年11月に刊行されました。武士見直し論の第一人者である髙橋氏の近著ということで、近年ほとんど勉強の進んでいない中世史の最新の成果の一端に触れるよい機会ではないかと思い、読んでみました。
本書においては、平治の乱以降の政治情勢の推移が清盛を中心として丁寧に描かれ、多くの朝廷の儀式・習慣が解説つきで取り上げられているので、この分野の勉強が不足している私にとっては大いに勉強になりました。
本書で示された見解で興味深かったものとしては、宋から日本への使者の派遣の目的として、軍事・治安問題もあったことや、清盛が東アジア世界全体を見据えた政権構想を抱いていたのではないか、との指摘です。清盛の政権構想と関連して、『文選』や『白氏文集』などといった「過去の価値・知識体系」から、『太平御覧』に代表される「新たな価値・知識体系」への移行も清盛は想定していた、との指摘も興味深いものでした。
清盛落胤説がほとんど自明のものとして扱われていることや、幕府論について、当時の用語である幕府と、現代の歴史学的な用語としての性格の強い幕府とを、少なからず混同しているところがあるのではないか、といった疑問はあるのですが、清盛の人物伝・平治の乱の後から清盛の死にいたるまでの政治史としては、かなりの好著だと思います。
本書においては、平治の乱以降の政治情勢の推移が清盛を中心として丁寧に描かれ、多くの朝廷の儀式・習慣が解説つきで取り上げられているので、この分野の勉強が不足している私にとっては大いに勉強になりました。
本書で示された見解で興味深かったものとしては、宋から日本への使者の派遣の目的として、軍事・治安問題もあったことや、清盛が東アジア世界全体を見据えた政権構想を抱いていたのではないか、との指摘です。清盛の政権構想と関連して、『文選』や『白氏文集』などといった「過去の価値・知識体系」から、『太平御覧』に代表される「新たな価値・知識体系」への移行も清盛は想定していた、との指摘も興味深いものでした。
清盛落胤説がほとんど自明のものとして扱われていることや、幕府論について、当時の用語である幕府と、現代の歴史学的な用語としての性格の強い幕府とを、少なからず混同しているところがあるのではないか、といった疑問はあるのですが、清盛の人物伝・平治の乱の後から清盛の死にいたるまでの政治史としては、かなりの好著だと思います。
この記事へのコメント