工藤健策『信長は本当に天才だったのか』
草思社より2007年8月に刊行されました。ネット上の書評ではあまり評判がよくなかったので、読むべきか迷ったのですが、私は自称信長見直し論者(近年はほとんど勉強が進んでいませんが・・・)なので、やはりこの題名を見るとどうしても気になってしまい、読んでしまいました。
最初に巻末の参考文献を見ると、ほとんどが一般向け書籍だったので、この時点で、ネット上の書評通りちょっと厳しそうだな、との予感があったのですが、それでも一応最後まで読み通しました。その結果は、やはり最初の予感通りで、本書は駄作と言うべきでしょう。まあそれでも、読み終えるのにたいして時間を要さなかったので、後悔の念はほとんどありません。
本書では、おもに信長の軍事的失敗が取り上げられ、その観点から、信長が世間でもてはやされているような天才ではなく、狭量だったことが指摘されているのですが、その信長の軍事的失敗は、基本的には巻末の参考文献などですでに指摘されているところであり、カバーに謳われているような「戦国史の常識を根本から覆す画期的信長論」とはとても言えません。
また、尾張の兵士が弱かったとか、信康の死は信長の命によるものとか、織田軍は農民兵の他大名の軍とはことなり、兵農分離により傭兵から構成されていたとか、なんら疑問を呈されることなく通俗的な理解が提示されており、この点からも、とても「画期的信長論」とは言えません。
全体的に、本書は信長を変な方向で過小評価しているといった感じで、信長はたんに私欲を追求して戦いと調略に明け暮れただけであり、たいした思想も政権構想もなかったとされていますが、信長の思想や政権構想については、当時の史料と状況に基づき、もう少していねいに追う必要があったのではないでしょうか。巻末の参考文献に『謎とき本能寺の変』(講談社、2003年)が掲げられていますが、それならば、同じく藤田達生氏の著作である『本能寺の変の群像』(雄山閣出版、2001年)を踏まえた議論があってもよかったと思います。
信長については散々に論じられているので、「画期的信長論」を提示するのは難しいと思われますが、「信長は本当に天才だったのか」と銘打つならば、軍事面だけではなく政治・経済などの面でも、通俗的な信長評価に切り込んでいってもらいたかったものです。世間の高い信長評を覆そうという著者の志には共感しますが、それが失敗に終わったように思えるのは残念でした。
最初に巻末の参考文献を見ると、ほとんどが一般向け書籍だったので、この時点で、ネット上の書評通りちょっと厳しそうだな、との予感があったのですが、それでも一応最後まで読み通しました。その結果は、やはり最初の予感通りで、本書は駄作と言うべきでしょう。まあそれでも、読み終えるのにたいして時間を要さなかったので、後悔の念はほとんどありません。
本書では、おもに信長の軍事的失敗が取り上げられ、その観点から、信長が世間でもてはやされているような天才ではなく、狭量だったことが指摘されているのですが、その信長の軍事的失敗は、基本的には巻末の参考文献などですでに指摘されているところであり、カバーに謳われているような「戦国史の常識を根本から覆す画期的信長論」とはとても言えません。
また、尾張の兵士が弱かったとか、信康の死は信長の命によるものとか、織田軍は農民兵の他大名の軍とはことなり、兵農分離により傭兵から構成されていたとか、なんら疑問を呈されることなく通俗的な理解が提示されており、この点からも、とても「画期的信長論」とは言えません。
全体的に、本書は信長を変な方向で過小評価しているといった感じで、信長はたんに私欲を追求して戦いと調略に明け暮れただけであり、たいした思想も政権構想もなかったとされていますが、信長の思想や政権構想については、当時の史料と状況に基づき、もう少していねいに追う必要があったのではないでしょうか。巻末の参考文献に『謎とき本能寺の変』(講談社、2003年)が掲げられていますが、それならば、同じく藤田達生氏の著作である『本能寺の変の群像』(雄山閣出版、2001年)を踏まえた議論があってもよかったと思います。
信長については散々に論じられているので、「画期的信長論」を提示するのは難しいと思われますが、「信長は本当に天才だったのか」と銘打つならば、軍事面だけではなく政治・経済などの面でも、通俗的な信長評価に切り込んでいってもらいたかったものです。世間の高い信長評を覆そうという著者の志には共感しますが、それが失敗に終わったように思えるのは残念でした。
この記事へのコメント
同じコメントが三つ続いていたので、最後の一つ以外は削除しました。
長篠の戦いの軍事史的意義については、藤本正行『信長の戦争』や鈴木眞哉『鉄砲と日本人』などが参考になると思います。
信長にたいする評価の変遷を見ると、「すべての歴史は現代史である」と改めて思い知らされますが、それでも私は、できるだけ当時の価値観に迫りつつ、自分なりの歴史像を築いていこうと考えています。
私自身、ブログ自体に未だ慣れていないもので、不手際の段お許し下さいます様お願い申し上げます。
私の周りにいる人間を含め、今の人達は(今の人達とは言っても私自身は昭和47年生まれなのですが)今の常識や価値観で歴史を見ていたり、それに近かったりしています。 それは、古代しかり、中・近世しかり、そして近・現代の戦争の時代しかりです。
当時の価値観に迫ると言うご意見は、まさしく同感です。
私も、「パスク・ジャパニーズ」のブログ名で記事を、まだ少ないですが載せております。
時間的余裕が余りなくて、たくさんは公開出来ませんが、貴重なご意見を頂ければ、勉強させて頂けると事と思います。
これからも劉公嗣さんの記事を楽しみにしております。
大したことは書けていませんし、歴史の記事もさほど多くありませんが、よろしければこれからもお読みください。
本当に、客観的に書かれており、勉強になることばかりです。
現在の一般に流布している信長史は、とくに桶狭間以降の
信長史が中心となりそれ以前の織田信秀の
経済基盤の構築、特に津島南朝十五党について言及されることが
非常に少ないことが残念でなりません。
津島衆の大橋氏や祖父江氏は信長の軍事力を支える上での
経済基盤構築に大きくかかわり、その伏線として
織田信秀がこれらの家との婚姻関係を結んで、
津島港を抑えたことが、非常に重要な
ファクターになってくると思います。
そうした点にも着目した書籍などあると
面白いですね。
確かに、信長の覇業の前提としての、信秀の業績はもっと重視されるべきだろうと思います。
よろしければ、今後とも色々とご教示ください。