本郷和人『武士から王へ-お上の物語』

 ちくま新書の一冊として、筑摩書房より2007年10月に刊行されました。私は関東人ですが、著者の歴史観は関東・武士偏重に思えて、正直なところ好きではありません。しかし、読みやすく教えられるところが多いので、著者の一般向け書籍は購入するようにしています。

 本書では、王権という概念を手がかりに、文書様式の分析などを通じて、中世における武家政権の成長が描かれ、中世社会をいかにとらえるべきか、提示されています。歴史を面白いものだと認識してもらいたい、との著者の意図は分かるのですが、抽象化・理念化が行き過ぎて多くの側面が削ぎ落とされているといった感じで、著者の提示する歴史像は、どうも抑揚のないものになってしまっているように思われます(まあそれでも、具体的に提示される「史実」はじゅうぶん面白いのですが)。

 たとえば、「西国に比べ」という条件つきではありますが、関東の武士は流通に鈍感で無知であった、とされています(P105)。しかし、鎌倉幕府以前の武士は、本当に流通に鈍感でいられたのでしょうか。物理的な側面で武士を武士たらしめるのに必要な武具の入手にあたっては、流通への配慮が必要だったはずです。

 そもそも武士は、荘園公領制という枠組みのなかで、いわば「現地監督者」として力を蓄えていったわけで(著者には当為の重視だと批判されるでしょうが)、その荘園公領制が一定水準以上の流通を前提としていた以上、関東の武士といえども(そして東北の武士も)、流通にたいして鈍感ではいられなかったのではないでしょうか。著者の意図は違うのでしょうが、草深い東国社会から武士が勃興した、というおなじみの歴史観が見えてしまいます。

 その他に気になった点としては、当為(ゾルレン)と実情(ザイン)という概念を用いて中世史についての諸見解を検討している箇所が挙げられます。源頼朝の奥州「討伐」を源頼義・義家の「前九年の役・後三年の役」の再現とする見解が取り上げられていますが(P52~53)、これはおそらく川合康氏の見解のことでしょう。本書では、「この壮大な儀式を経て、頼朝と御家人の主従制は定着したという研究者もいる」とまとめられたうえで、こうした見解は当為に目を奪われた稚拙な言説だと批判されています。

 しかし、川合氏の見解は、奥州合戦の特異性を指摘したうえで、頼朝が御家人制の再編という「政治」目的のために、奥州藤原氏「討伐」にあたって、前九年の役・後三年の役という歴史を持ち出してその再現をも企図した、ということであり、著者のまとめは、川合氏の見解を戯画化したものだと思います。むしろ、著者の記述のほうこそ稚拙な見解と言えるのではないか、とさえ私には思えてくるのですが、こうした点も含めてやや軽率なところは、著者の欠陥にも魅力にもなっているように思われます。

 また、一向宗と戦国大名とは不倶戴天の敵とならざるを得なかった(P221)、とする見解も気になるところです。はたして本当に、一向宗と戦国大名とはお互いに相容れない存在だったのでしょうか。一向宗の盛んな地域といえども、つねに大名と敵対していたわけではありません。

 もちろん、一向宗と戦国大名との対立にある種の普遍性もあるのでしょうが、各地における一向一揆と戦国大名との対決は、基本的には個別具体的事情を重く見るほうが妥当なように思えます。当為(ゾルレン)よりも実情(ザイン)を重視せよ、というのが本書における著者の一貫した姿勢ですが、この問題については、一種の理念型というか当為(ゾルレン)を強くあてはめてしまった解釈のように思われます。

 その他にも、関ヶ原の戦いの解釈や、江戸幕府についての「そこでは再び商業より農業が、銭より米が重視される」といった評価(P165)などに疑問点があるのですが、とりあえずここまでにしておきます。歴史学の研究者ではない私にとっては、教えられるところの多い一冊でしたが、一方で著者の暴走も目立つといった感じで、面白いが危険な書でもある、というのが率直な感想です。

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