ヴァチカン法王庁がテンプル騎士団の宗教裁判の史料を公開

 1307年、フランス王フィリップ4世はテンプル騎士団襲撃を命じましたが、これに関連して1311年にヴィエンヌ公会議が開催されました。この公会議では、テンプル騎士団の処分について宗教裁判が行なわれ、テンプル騎士団の解散が決定されました。ヴァチカン法王庁が、そのときの史料である“Processus Contra Templarios”を、700年ぶりに公開することを決定した、との報道がありました。

 『イリヤッド』でも何度か登場したテンプル騎士団ですが、『イリヤッド』でのテンプル騎士団は、アトランティスの謎を追及しようとしたため、当時はヴァチカンに属していた秘密結社「秘密の箱を運ぶ人々」の策謀により壊滅したことになっていました。また『イリヤッド』では、このヴィエンヌ公会議において、「秘密の箱を運ぶ人々」から暗殺専門集団が分離されたことになっていました。まあ『イリヤッド』の設定はともかくとして、この史料の公開により、じっさいのテンプル騎士団はどのような集団だったのか、テンプル騎士団と聖杯伝説とはどのように関係しているのか、などといった謎の解明につながるかもしれず、興味深いものがあります。

この記事へのコメント

kiki
2007年11月26日 05:12
ご無沙汰しております。
大変興味深いニュースをお知らせ頂いてうれしかったです。
この資料読んでみたいです。
ですが、96万円もするなんて(^_^;)...
無理ですw。
私は、この事件の際のキーパーソン、フィリップ4世と
その息子達の話に興味があるのですよ。
この王朝の断絶がテンプル騎士団の呪いのせいだと噂され、
物語になっているんですよね。
果たして事実が記録されているのでしょうか?
テンプル騎士団の実体を知るために、
教会や王に都合の良い記録でなく、事実が知りたいです。
2007年11月26日 19:51
これはkikiさん、お久しぶりです。

この史料公開も踏まえて『イリヤッド』の続編が描かれないかなあ、と期待しているのですが、難しそうですねぇ。

それから、以前ご紹介いただいた『古代文明の謎はどこまで解けたか』を読みました。

『イリヤッド』の重要な元ネタであることが分かる記述を読んで、思わず内心でにやっとしていました(笑)。

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