猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題について
子欲居さんの記事にコメントをつけようと思ったのですが、長くなりそうなので、新規の記事として執筆し、トラックバックを送ることにします。私は子欲居さんと違って、中国語の文献が読めず、したがって中国の学界事情をほとんど知らないので、あくまで日本での問題のみ取り上げることにします。以下の記述では、おもに渡辺直経編『人類学用語辞典』(雄山閣、1997年)を参照しています。
猿人→原人→旧人→新人という人類進化の図式は、多くの日本人にとっておなじみのものとなっているでしょうが、これは人類の単系統の発展段階を前提としています。しかし、猿人とされた人類と原人とされた人類だけではなく、旧人とされた人類と新人とされた人類も長期間共存していたことや、旧人の代表格のネアンデルタール人はわれわれ新人の祖先ではない、との見解が有力になってきたことなどから、人類の単系統の発展段階説は、もはや破綻してしまったと言ってよいでしょう。
しかし、説明しやすく便利な概念であることと、慣例もあってか、日本ではまだ猿人・原人・旧人・新人という用語がひんぱんに使われています。ただ、英語圏ではもはやこうした用語が使われることはほとんどないようで、近年の古人類学関係の論文や報道でも、私が読んだかぎりでは、こうした用語は登場していません。
猿人は‘ape-man’、原人は‘Archanthropinae’、旧人は‘Paleanthropine’、新人は‘Neanthropine’の訳ですが、この猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題を考えるにあたっては、そもそもそれらの原語は何で、どういう概念に基づくのか、ということを述べていく必要があるでしょう。
これらのなかで最初に提唱された概念・用語は‘Neanthropine’「新人」で、20世紀初頭にアーサー=キース氏が作りました。当初は年代学的・形態学的意味のみをもち、動物学的分類ではありませんでした。後に人類進化段階説の一段階として再定義されました。今では、われわれホモ=サピエンス(現生人類)のことを指します。
次に提唱された概念・用語は、‘Paleanthropine’「旧人」で、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)のように上部旧石器文化以前の文化をもつ人類を再分類するために、1916年にエリオット=スミス氏が作りました。後に、この用語も人類進化段階説の一段階として採用され、ネアンデルタール人やインドネシアのソロ人や中国の大荔人・馬壩人が含まれるようになりました。
次に、20世紀半ばになって、フランツ=ヴァイデンライヒ氏が‘Archanthropinae’「原人」という概念・用語を提唱しました。ヴァイデンライヒ氏は、人類の進化段階の一つとして原人という概念を提唱し、当時はピテカントロプス=エレクトス(いわゆるジャワ原人)とシナントロプス=ペキネンシス(いわゆる北京原人)とに区分されていた人骨もこの原人という概念に含め、原人は旧人段階の祖先だとしました。
ヴァイデンライヒ氏は、アフリカ・オーストラリア・モンゴリア・ユーラシア(西部)の各地域において、人類は原人→旧人→新人と進化し、現代の各地域の人類集団間の違いは、原人段階にまでさかのぼるのだと主張しました。ただ、ヴァイデンライヒ氏は、各地域の人類集団は独立して進化したのではなく、相互に遺伝子交流(交雑)もあったのだ、と考えていました。ヴァイデンライヒ氏の後の人類進化段階説では、インドネシアや中国の人骨だけではなく、旧人段階以前のアフリカの人骨も原人に含められました。
人類進化段階説は、ローリング=ブレイス氏の人類単一種説と、それを清算しつつ継承したミルフォード=ウォルポフ氏とアラン=ソーン氏による多地域進化説とに継承されましたが、その頃には、原人よりもさらに古い人骨群がアフリカで複数発見されていたので、それらの人骨群が‘ape-man’「猿人」とされ、猿人は原人の前段階に位置づけられました。こうして、現代の日本人におなじみの、猿人→原人→旧人→新人という図式が成立したわけです。
ここまで述べてきたように、猿人・原人・旧人・新人という用語・概念は、基本的には、アウストラロピテクス=アファレンシスやホモ=ネアンデルターレンシスやホモ=エレクトスといった種を定義する学術名と厳密に対応しているわけではなく(新人のみは、事実上ホモ=サピエンスのみに対応していますが)、より包括的な分類概念になっていますので、アウストラロピテクス属が猿人という概念に含まれ、エレクトスが原人という概念に含まれるとはいえ、アウストラロピテクス属の訳語が猿人で、エレクトスの訳語が原人というわけではありません。したがって、この訳語の問題から、日本と欧米・中国との人類概念の違いを推測するのは難しいと思います。
ただ、原人以前の人類がアウストラロピテクス属として一括分類されたり、20世紀半ばの進化総合説の成立により、ピテカントロプス=エレクトスとシナントロプス=ペキネンシスとが同一種ホモ=エレクトスに統合され、アフリカの初期ホモ属(分類について問題のあるハビリスとルドルフェンシスは除外します)もエレクトスとされたりしてきた事情があるので、アウストラロピテクス属の訳語が猿人、エレクトスの訳語が原人と誤解されてきたのは、仕方のないところでしょう。
もっとも、アウストラロピテクス属も、いわゆる頑丈型猿人をパラントロプス属として別の属に分類する見解も根強くあります。また、アウストラロピテクス属以前の人類、たとえばアルディピテクス属なども発見されています。これらのパロントロプス属やアルディピテクス属も、日本では猿人とされます。また、原人についても、アフリカの初期ホモ属をホモ=エルガスターと分類する見解も根強くあり、エルガスターも日本では原人とされます。
猿人→原人→旧人→新人という人類進化の図式は、多くの日本人にとっておなじみのものとなっているでしょうが、これは人類の単系統の発展段階を前提としています。しかし、猿人とされた人類と原人とされた人類だけではなく、旧人とされた人類と新人とされた人類も長期間共存していたことや、旧人の代表格のネアンデルタール人はわれわれ新人の祖先ではない、との見解が有力になってきたことなどから、人類の単系統の発展段階説は、もはや破綻してしまったと言ってよいでしょう。
しかし、説明しやすく便利な概念であることと、慣例もあってか、日本ではまだ猿人・原人・旧人・新人という用語がひんぱんに使われています。ただ、英語圏ではもはやこうした用語が使われることはほとんどないようで、近年の古人類学関係の論文や報道でも、私が読んだかぎりでは、こうした用語は登場していません。
猿人は‘ape-man’、原人は‘Archanthropinae’、旧人は‘Paleanthropine’、新人は‘Neanthropine’の訳ですが、この猿人・原人・旧人・新人という日本語訳の問題を考えるにあたっては、そもそもそれらの原語は何で、どういう概念に基づくのか、ということを述べていく必要があるでしょう。
これらのなかで最初に提唱された概念・用語は‘Neanthropine’「新人」で、20世紀初頭にアーサー=キース氏が作りました。当初は年代学的・形態学的意味のみをもち、動物学的分類ではありませんでした。後に人類進化段階説の一段階として再定義されました。今では、われわれホモ=サピエンス(現生人類)のことを指します。
次に提唱された概念・用語は、‘Paleanthropine’「旧人」で、ネアンデルタール人(ホモ=ネアンデルターレンシス)のように上部旧石器文化以前の文化をもつ人類を再分類するために、1916年にエリオット=スミス氏が作りました。後に、この用語も人類進化段階説の一段階として採用され、ネアンデルタール人やインドネシアのソロ人や中国の大荔人・馬壩人が含まれるようになりました。
次に、20世紀半ばになって、フランツ=ヴァイデンライヒ氏が‘Archanthropinae’「原人」という概念・用語を提唱しました。ヴァイデンライヒ氏は、人類の進化段階の一つとして原人という概念を提唱し、当時はピテカントロプス=エレクトス(いわゆるジャワ原人)とシナントロプス=ペキネンシス(いわゆる北京原人)とに区分されていた人骨もこの原人という概念に含め、原人は旧人段階の祖先だとしました。
ヴァイデンライヒ氏は、アフリカ・オーストラリア・モンゴリア・ユーラシア(西部)の各地域において、人類は原人→旧人→新人と進化し、現代の各地域の人類集団間の違いは、原人段階にまでさかのぼるのだと主張しました。ただ、ヴァイデンライヒ氏は、各地域の人類集団は独立して進化したのではなく、相互に遺伝子交流(交雑)もあったのだ、と考えていました。ヴァイデンライヒ氏の後の人類進化段階説では、インドネシアや中国の人骨だけではなく、旧人段階以前のアフリカの人骨も原人に含められました。
人類進化段階説は、ローリング=ブレイス氏の人類単一種説と、それを清算しつつ継承したミルフォード=ウォルポフ氏とアラン=ソーン氏による多地域進化説とに継承されましたが、その頃には、原人よりもさらに古い人骨群がアフリカで複数発見されていたので、それらの人骨群が‘ape-man’「猿人」とされ、猿人は原人の前段階に位置づけられました。こうして、現代の日本人におなじみの、猿人→原人→旧人→新人という図式が成立したわけです。
ここまで述べてきたように、猿人・原人・旧人・新人という用語・概念は、基本的には、アウストラロピテクス=アファレンシスやホモ=ネアンデルターレンシスやホモ=エレクトスといった種を定義する学術名と厳密に対応しているわけではなく(新人のみは、事実上ホモ=サピエンスのみに対応していますが)、より包括的な分類概念になっていますので、アウストラロピテクス属が猿人という概念に含まれ、エレクトスが原人という概念に含まれるとはいえ、アウストラロピテクス属の訳語が猿人で、エレクトスの訳語が原人というわけではありません。したがって、この訳語の問題から、日本と欧米・中国との人類概念の違いを推測するのは難しいと思います。
ただ、原人以前の人類がアウストラロピテクス属として一括分類されたり、20世紀半ばの進化総合説の成立により、ピテカントロプス=エレクトスとシナントロプス=ペキネンシスとが同一種ホモ=エレクトスに統合され、アフリカの初期ホモ属(分類について問題のあるハビリスとルドルフェンシスは除外します)もエレクトスとされたりしてきた事情があるので、アウストラロピテクス属の訳語が猿人、エレクトスの訳語が原人と誤解されてきたのは、仕方のないところでしょう。
もっとも、アウストラロピテクス属も、いわゆる頑丈型猿人をパラントロプス属として別の属に分類する見解も根強くあります。また、アウストラロピテクス属以前の人類、たとえばアルディピテクス属なども発見されています。これらのパロントロプス属やアルディピテクス属も、日本では猿人とされます。また、原人についても、アフリカの初期ホモ属をホモ=エルガスターと分類する見解も根強くあり、エルガスターも日本では原人とされます。
この記事へのコメント
ただ、それでも若干気になることがありますので、トラックバックを付けるかどうかはもっと劉公嗣さんの文章をよく読んで検討させていただきます。
近年の世界史教科書ではどうなっているのか、機会があったら調べてみます。