日本の学界におけるヒト科の分類概念と人類学用語の問題
10月8日分の記事について、子欲居さんからご指摘をいただきましたが、コメント欄で返答するには長くなりそうなので、新規の記事を執筆してトラックバックを送ることにします。ただ、今回私が述べることは、日本語と英語の論文・報道・書籍のみを参考にしているので、あくまでも、日本と米英を中心とした英語圏のみについての、私なりの考えでしかありません。この問題について、中国の事情はまったくと言ってよいほど知りませんので、中国については言及しません。
なお、分類の問題は色々とややこしいので、現生人類とはもっとも近縁な現存生物であるチンパンジーも、人類と同じく‘Hominidae’ヒト科に属すのか、ハビリスはホモ属なのかアウストラロピテクス属なのか、などといった問題は詳しく触れないことにします。また、現生類人猿については基本的に、現生人類にもっとも近縁なチンパンジーと、その次に近縁なゴリラを念頭においています。
さて本題ですが、「人間」が‘human’の訳語(英語の‘human’は、現生人類を含むホモ属を指します)だという前提で、子欲居さんのご指摘にたいしてまず結論から申しあげますと、日本語で「猿人」とされているアウストラロピテクス属やパロントロプス属などと人間とは、日本の学界でも米英の学会と同様にしっかりと区別されていて、この問題について、日本と米英の学界との間に大きな認識の違いはない、と言ってよいでしょう。
「猿人」はアウストラロピテクスの訳語ではなく、アウストラロピテクス属やパロントロプス属などを含む概念である、英語の‘ape-man’の日本語訳で、子欲居さんも指摘されているように、人間といわゆる類人猿との中間的とされる形態の生物群を指しています。その意味で、‘ape-man’との呼称は必ずしも不適当ではないでしょう。もちろん英語圏では、少なくとも学界においては、アウストラロピテクス属やパロントロプス属などを含む‘ape-man’と、現生人類やネアンデルタール人などを含む‘human’とはしっかりと区別されています。
確かに、‘ape-man’の日本語訳には「人」という文字が含まれていますが、これは英語の直訳であり、そもそも英語に‘man’という表記が含まれています。これは、類人猿と人間との中間の生物であることを表しているという意味で、適切だと思います。一般にどう受け取られているかはさておき、少なくとも日本の学界では、欧米での用例を踏まえたうえで日本語訳がなされており、欧米の学界と同様に、‘ape-man’「猿人」と‘human’「人間」とがしっかりと区別されたうえで、「猿人」という訳語が用いられています。
もっとも、「猿人」の後の段階の人類を指す用語が、「原人」・「旧人」・「新人」と日本語訳されていますので、‘ape-man’と‘human’との区別がしっかりとなされていないのではないか、との疑念が生じることもあるでしょう。こうした訳語には多少問題があると言えなくはありません。
ただ、たとえば最近では、人間だけではなくチンパンジーもヒト科と分類する見解がありますが、片仮名表記とはいえ「ヒト」が用いられているものの、チンパンジーと人間とがしっかりと区別されていないということはありません。ヒト亜科(チンパンジーをヒト科に含まない分類では、ヒト科となります)を総称して人類と表記することもよくありますが、少なくとも学界では、いわゆる猿人と人間(ホモ属)との区別がしっかりなされていないわけでもありません。
また、人類と他の生物を分かつもっとも重要な指標は直立二足歩行とされているわけですから、形態からも足跡からも直立二足歩行をしていたことが確実なアウストラロピテクス属が、そもそも英語の直訳であるという事情を抜きにしても、「人」という文字を含む「猿人」と表記されていることは、さほど問題だとは思いません。もちろん、「ヒト科」や「ヒト亜科」といった日本語訳された分類用語や、「猿人」という日本語表記にまったく問題がないとは言えませんが、表記の問題から分類概念について論じるのは、慎重でないといけないと思います。
あくまで私の個人的感覚ですが、「猿人」は類人猿と人間との中間の生物であることを意味し、「もと」という意味がある「原」を用いた「原人」という訳語は、‘human’「人間」はここから始まるのだということを表しているようで、なかなか適切だったようにも思われます。「旧人」と「新人」も、人間を年代的に区分していることを視覚的に表しているという意味で、適切な訳語だと言えそうです。
もっとも、10月8日分の記事で述べたように、私は猿人・原人・旧人・新人という区分にもはや意味はないと考えています。あくまで、30年以上前であれば、妥当なところだったと認めてもよいのではないか、という考えです。日本の学界に問題があるとすれば、もはやほとんど意味のなくなった猿人・原人・旧人・新人という区分を、一般向け書籍や新聞などで今でも研究者が使用していることでしょうが、メディア側の要請もあるでしょうから、仕方のないところもあるかな、とは思います。あまりご期待にはそえない回答になったでしょうが、私の返答は以上です。
さて、1週間前ならこれで終わってもよかったのですが、今では、アウストラロピテクス属を含むいわゆる猿人の位置づけや、人類(ヒト亜科)とは何かという話になると、どうも上記の記述ではすっきりしないものが残ります。上記の説明は、人類と類人猿とを分かつ指標は直立二足歩行にあり、それは人類とチンパンジーとが分岐した後のことだ、という前提のもとに行ないました。
基本的に、現在でも日本の学界の主流ではそのように考えられているでしょうから、その意味では、日本の学界においては、人間とアウストラロピテクス属など猿人とされている集団とが、欧米のようにしっかりと区別されていないのではないか?との疑問に対する私の答えとしては、今でも上記の説明になってしまいます。
1週間前なら、上記の説明がほぼそのまま私個人の見解になったのですが、今日掲載した記事で述べたように、直立二足歩行の起源がかなりさかのぼる可能性も、しっかりとした研究で指摘されるようになりましたから、上記の説明の前提についても、確固たる自信はないという状況です。
直立二足歩行の起源がかなりさかのぼるとしたら、直立二足歩行の生物は過去に多数いて、それらの中には、現生人類にとってチンパンジーよりも縁遠い生物も多数いたことでしょう。そうすると、現在は人類に分類されている古い人骨のうち、どれだけが本当に人類に分類されるべきなのか、怪しくなってきますし、「猿人」が類人猿と人間の中間的存在との評価にも疑問が生じます。
あるいは、アウストラロピテクス属と分類されている人骨群でさえ、人類ではないかもしれません(歯の形態からすると、その可能性は低そうですが)。もっとも、アウストラロピテクス属は人類だとしても、現代人の祖先ではないだろうとの見解は、直立二足歩行の起源の問題に関係なく、以前から一部で指摘されてはいましたが。まあこの問題についてはすぐに結論がでそうにないので、今回はここまでにしておきます。
本当は、今日掲載した記事は来週掲載しようかと思っていたのですが、子欲居さんからトラックバックをいただく前にすでに書き終えていたので、その記事を無視してこの記事を執筆するのも変だと思い、今日同時に掲載することにしました。まあ、ブログ用の記事はかなりたまっていて、私もいつ思いがけず死んでしまうか分からないのに、一円にもならないブログ用の記事をためこんでいても仕方ないので、今後はたまに、今日のように一日に複数の記事を掲載していこうと思います。
なお、分類の問題は色々とややこしいので、現生人類とはもっとも近縁な現存生物であるチンパンジーも、人類と同じく‘Hominidae’ヒト科に属すのか、ハビリスはホモ属なのかアウストラロピテクス属なのか、などといった問題は詳しく触れないことにします。また、現生類人猿については基本的に、現生人類にもっとも近縁なチンパンジーと、その次に近縁なゴリラを念頭においています。
さて本題ですが、「人間」が‘human’の訳語(英語の‘human’は、現生人類を含むホモ属を指します)だという前提で、子欲居さんのご指摘にたいしてまず結論から申しあげますと、日本語で「猿人」とされているアウストラロピテクス属やパロントロプス属などと人間とは、日本の学界でも米英の学会と同様にしっかりと区別されていて、この問題について、日本と米英の学界との間に大きな認識の違いはない、と言ってよいでしょう。
「猿人」はアウストラロピテクスの訳語ではなく、アウストラロピテクス属やパロントロプス属などを含む概念である、英語の‘ape-man’の日本語訳で、子欲居さんも指摘されているように、人間といわゆる類人猿との中間的とされる形態の生物群を指しています。その意味で、‘ape-man’との呼称は必ずしも不適当ではないでしょう。もちろん英語圏では、少なくとも学界においては、アウストラロピテクス属やパロントロプス属などを含む‘ape-man’と、現生人類やネアンデルタール人などを含む‘human’とはしっかりと区別されています。
確かに、‘ape-man’の日本語訳には「人」という文字が含まれていますが、これは英語の直訳であり、そもそも英語に‘man’という表記が含まれています。これは、類人猿と人間との中間の生物であることを表しているという意味で、適切だと思います。一般にどう受け取られているかはさておき、少なくとも日本の学界では、欧米での用例を踏まえたうえで日本語訳がなされており、欧米の学界と同様に、‘ape-man’「猿人」と‘human’「人間」とがしっかりと区別されたうえで、「猿人」という訳語が用いられています。
もっとも、「猿人」の後の段階の人類を指す用語が、「原人」・「旧人」・「新人」と日本語訳されていますので、‘ape-man’と‘human’との区別がしっかりとなされていないのではないか、との疑念が生じることもあるでしょう。こうした訳語には多少問題があると言えなくはありません。
ただ、たとえば最近では、人間だけではなくチンパンジーもヒト科と分類する見解がありますが、片仮名表記とはいえ「ヒト」が用いられているものの、チンパンジーと人間とがしっかりと区別されていないということはありません。ヒト亜科(チンパンジーをヒト科に含まない分類では、ヒト科となります)を総称して人類と表記することもよくありますが、少なくとも学界では、いわゆる猿人と人間(ホモ属)との区別がしっかりなされていないわけでもありません。
また、人類と他の生物を分かつもっとも重要な指標は直立二足歩行とされているわけですから、形態からも足跡からも直立二足歩行をしていたことが確実なアウストラロピテクス属が、そもそも英語の直訳であるという事情を抜きにしても、「人」という文字を含む「猿人」と表記されていることは、さほど問題だとは思いません。もちろん、「ヒト科」や「ヒト亜科」といった日本語訳された分類用語や、「猿人」という日本語表記にまったく問題がないとは言えませんが、表記の問題から分類概念について論じるのは、慎重でないといけないと思います。
あくまで私の個人的感覚ですが、「猿人」は類人猿と人間との中間の生物であることを意味し、「もと」という意味がある「原」を用いた「原人」という訳語は、‘human’「人間」はここから始まるのだということを表しているようで、なかなか適切だったようにも思われます。「旧人」と「新人」も、人間を年代的に区分していることを視覚的に表しているという意味で、適切な訳語だと言えそうです。
もっとも、10月8日分の記事で述べたように、私は猿人・原人・旧人・新人という区分にもはや意味はないと考えています。あくまで、30年以上前であれば、妥当なところだったと認めてもよいのではないか、という考えです。日本の学界に問題があるとすれば、もはやほとんど意味のなくなった猿人・原人・旧人・新人という区分を、一般向け書籍や新聞などで今でも研究者が使用していることでしょうが、メディア側の要請もあるでしょうから、仕方のないところもあるかな、とは思います。あまりご期待にはそえない回答になったでしょうが、私の返答は以上です。
さて、1週間前ならこれで終わってもよかったのですが、今では、アウストラロピテクス属を含むいわゆる猿人の位置づけや、人類(ヒト亜科)とは何かという話になると、どうも上記の記述ではすっきりしないものが残ります。上記の説明は、人類と類人猿とを分かつ指標は直立二足歩行にあり、それは人類とチンパンジーとが分岐した後のことだ、という前提のもとに行ないました。
基本的に、現在でも日本の学界の主流ではそのように考えられているでしょうから、その意味では、日本の学界においては、人間とアウストラロピテクス属など猿人とされている集団とが、欧米のようにしっかりと区別されていないのではないか?との疑問に対する私の答えとしては、今でも上記の説明になってしまいます。
1週間前なら、上記の説明がほぼそのまま私個人の見解になったのですが、今日掲載した記事で述べたように、直立二足歩行の起源がかなりさかのぼる可能性も、しっかりとした研究で指摘されるようになりましたから、上記の説明の前提についても、確固たる自信はないという状況です。
直立二足歩行の起源がかなりさかのぼるとしたら、直立二足歩行の生物は過去に多数いて、それらの中には、現生人類にとってチンパンジーよりも縁遠い生物も多数いたことでしょう。そうすると、現在は人類に分類されている古い人骨のうち、どれだけが本当に人類に分類されるべきなのか、怪しくなってきますし、「猿人」が類人猿と人間の中間的存在との評価にも疑問が生じます。
あるいは、アウストラロピテクス属と分類されている人骨群でさえ、人類ではないかもしれません(歯の形態からすると、その可能性は低そうですが)。もっとも、アウストラロピテクス属は人類だとしても、現代人の祖先ではないだろうとの見解は、直立二足歩行の起源の問題に関係なく、以前から一部で指摘されてはいましたが。まあこの問題についてはすぐに結論がでそうにないので、今回はここまでにしておきます。
本当は、今日掲載した記事は来週掲載しようかと思っていたのですが、子欲居さんからトラックバックをいただく前にすでに書き終えていたので、その記事を無視してこの記事を執筆するのも変だと思い、今日同時に掲載することにしました。まあ、ブログ用の記事はかなりたまっていて、私もいつ思いがけず死んでしまうか分からないのに、一円にもならないブログ用の記事をためこんでいても仕方ないので、今後はたまに、今日のように一日に複数の記事を掲載していこうと思います。
この記事へのコメント
アウストラロピテクス云々とするよりは、たとえ正確な理解を妨げるにしても、猿人と表記するほうが一見分かりやすいだろうということは、日本語表記の現状からして仕方のないところでしょうし。
文字数の節約にもなりますし、日本では、猿人・原人・旧人・新人という用語が当分は使われ続けることになりそうです。