フロレシエンシスと共伴した石器をめぐる議論
考古学者のジュリアン=リール=ザルヴァトール氏(どうもフランス系の人名のようですが、私は仏語がさっぱり分からないので、この表記でよいものか、自信はありません)のブログにて、インドネシア領フローレス島で発見された更新世の石器群と人骨(新種ホモ=フロレシエンシスとする見解と、小柄な現生人類とする見解があります)についての見解が述べられました。
これは、フロレシエンシスの正基準標本である‘LB1’の手首の構造が、現生人類やネアンデルタール人よりも原始的であることを示した研究(今年9月22日分の記事にて紹介しました)を受けてのものです。以下、ザルヴァトール氏の見解で気になったところを取り上げます。
マイク=モルウッド博士が『ネイチャー』の論文のなかの図で示した細石刃と大型石刃は規則的ではなく(中央を走る背部の隆起が一直線ではない)、通常の石刃とは異なる打面になっていました。さらに、図で示された彫器石核は、複数の刃のある剥片を打ち落とした剥片石核に見えますが、石刃石核には見えません。
そもそも、論文の図で示されるような石器は、普通は発見された石器群のなかでもっとも「見栄えの良い」ものが選ばれます。つまり、研究者が石器群のなかに石刃を見つけたいと思えば、たとえ石器群全体の形態を正確に反映していないものであったとしても、最良のものを図に描きがちだ、ということです。
石刃と調整石核の技術は、かなりのていどの技術と手先の器用さを要するものであり、現生人類とネアンデルタール人が習得していました。しかし、リアン=ブア洞窟の石器はそうした手先の器用さを反映したものではなく、下部旧石器文化の技術に近いものがあります。こうしたリアン=ブア洞窟の石器群についての推測は、‘LB1’の手首の構造が原始的であることを示した研究と、相互補完の関係にあるものと言えます。
いっぽう、‘LB1’の手首の構造に関する研究は、さらなる問題を提起します。‘LB1’の手首の構造は、現生人類やネアンデルタール人よりも、アウストラロピテクス属や初期ホモ属と似ていましたが、もっとも似ているように見えたのは、LB1と比較できるような古人骨が多くないという事情があるとはいえ、チンパンジーのそれでした。‘LB1’の分類名称や、系統的で目的のある道具製作に必要な形態学的・神経学的前提条件といった問題について、‘LB1’の手首の構造についての研究が示唆するのは何でしょうか。
以上、ザルヴァトール氏の見解をざっと見てきましたが、フロレシエンシスが多くの人に驚かれた理由の一つとして、小さな脳にもかかわらず、石刃など上部旧石器文化的な「高度な」石器を作っていた、ということが挙げられます。また、それを根拠の一つとして、フローレス島の更新世の人骨群は新種フロレシエンシスではなく、小柄な現生人類集団だ、との批判も提示されていたわけです。ところが、ザルヴァトール氏の指摘にあるように、フロレシエンシスと共伴した石器が、「高度なもの」ではなく「原始的」だとすると、フロレシエンシスについての驚嘆と謎の一部は失われることになりそうです。
しかし、ザルヴァトール氏の指摘にもあるように、現生人類が「原始的な」石器を作る場合もありえますし、フローレス島も含む東南アジア島嶼部においては、現生人類もそれ以外の集団もじっさいにそうだったことは、今年9月5日分の記事の記事にて紹介した研究でも指摘されていました。‘LB1’の手首と比較できるような古人骨があるていどそろい、比較研究が進むまでは、手首の構造と手先の器用さと石器技術との関連について、断言するのは危険だと言えそうです。ともかく、フロレシエンシスについての今後の研究の進展に期待しています。
これは、フロレシエンシスの正基準標本である‘LB1’の手首の構造が、現生人類やネアンデルタール人よりも原始的であることを示した研究(今年9月22日分の記事にて紹介しました)を受けてのものです。以下、ザルヴァトール氏の見解で気になったところを取り上げます。
マイク=モルウッド博士が『ネイチャー』の論文のなかの図で示した細石刃と大型石刃は規則的ではなく(中央を走る背部の隆起が一直線ではない)、通常の石刃とは異なる打面になっていました。さらに、図で示された彫器石核は、複数の刃のある剥片を打ち落とした剥片石核に見えますが、石刃石核には見えません。
そもそも、論文の図で示されるような石器は、普通は発見された石器群のなかでもっとも「見栄えの良い」ものが選ばれます。つまり、研究者が石器群のなかに石刃を見つけたいと思えば、たとえ石器群全体の形態を正確に反映していないものであったとしても、最良のものを図に描きがちだ、ということです。
石刃と調整石核の技術は、かなりのていどの技術と手先の器用さを要するものであり、現生人類とネアンデルタール人が習得していました。しかし、リアン=ブア洞窟の石器はそうした手先の器用さを反映したものではなく、下部旧石器文化の技術に近いものがあります。こうしたリアン=ブア洞窟の石器群についての推測は、‘LB1’の手首の構造が原始的であることを示した研究と、相互補完の関係にあるものと言えます。
いっぽう、‘LB1’の手首の構造に関する研究は、さらなる問題を提起します。‘LB1’の手首の構造は、現生人類やネアンデルタール人よりも、アウストラロピテクス属や初期ホモ属と似ていましたが、もっとも似ているように見えたのは、LB1と比較できるような古人骨が多くないという事情があるとはいえ、チンパンジーのそれでした。‘LB1’の分類名称や、系統的で目的のある道具製作に必要な形態学的・神経学的前提条件といった問題について、‘LB1’の手首の構造についての研究が示唆するのは何でしょうか。
以上、ザルヴァトール氏の見解をざっと見てきましたが、フロレシエンシスが多くの人に驚かれた理由の一つとして、小さな脳にもかかわらず、石刃など上部旧石器文化的な「高度な」石器を作っていた、ということが挙げられます。また、それを根拠の一つとして、フローレス島の更新世の人骨群は新種フロレシエンシスではなく、小柄な現生人類集団だ、との批判も提示されていたわけです。ところが、ザルヴァトール氏の指摘にあるように、フロレシエンシスと共伴した石器が、「高度なもの」ではなく「原始的」だとすると、フロレシエンシスについての驚嘆と謎の一部は失われることになりそうです。
しかし、ザルヴァトール氏の指摘にもあるように、現生人類が「原始的な」石器を作る場合もありえますし、フローレス島も含む東南アジア島嶼部においては、現生人類もそれ以外の集団もじっさいにそうだったことは、今年9月5日分の記事の記事にて紹介した研究でも指摘されていました。‘LB1’の手首と比較できるような古人骨があるていどそろい、比較研究が進むまでは、手首の構造と手先の器用さと石器技術との関連について、断言するのは危険だと言えそうです。ともかく、フロレシエンシスについての今後の研究の進展に期待しています。
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