東南アジア島嶼部の石器をめぐる議論
インドネシア領フローレス島における更新世の石器の発見などを受けて、東南アジア島嶼部の石器文化の通説を見直そうとする見解があります。東南アジア島嶼部の石器研究では、石核石器はエレクトスに、剥片石器は現生人類に関連づけられてきましたが、フローレス島の証拠から判断すると、石核石器と剥片石器は、石材の縮小過程の異なる側面を示したものにすぎず、区別することに意味はないとされます。
つまり、石材から剥片をとった残りが石核石器とされていたのであり、石核石器が台地や川といった採石場として適した場所で発見される傾向があるのは、剥片(の原形)をとった後の石核を捨て去ったためというわけです。石器製作者たちは、採石場で石材から剥片(の原形)をとり、その剥片(の原形)を別の場所に持ち去ったものと思われます。
こうした行動は、フローレス島では80万年以上前にさかのぼりそうですが、現生人類も同じようにして石材から剥片を得ているので、この点ではエレクトスとフロレシエンシス(小頭症の現生人類との説もあります)と現生人類が同じような行動をとっていたことになります。
以上、ごく簡単に新見解について見てきましたが、石器製作のある側面における100万年近い共通性は、最近ではすっかり劣勢となった多地域進化説にとっては、歓迎すべきことと言えるかもしれません。ただ、現生人類とネアンデルタール人とが同じ石器文化を有していたレヴァントの事例から判断しても、これは現生人類のアフリカ単一起源説を崩す根拠にはなりにくいと言えるでしょう。
フローレス島の80万年前よりもさかのぼる石器は、エレクトスまたはフロレシエンシスの祖先の未知の人類集団(フロレシエンシスがエレクトスの子孫でも現生人類でもない場合)の所産でしょうが(これまでのフローレス島における更新世の石器研究に大過がなければ)、95000年前以降のフローレス島の石器については、石刃などもあることから、現生人類の所産ではないか、との見解が根強くあります。これは、フロレシエンシスが新種の人類なのか現生人類なのか、新種だとしてどのていどの認知能力があったのか、などといった大問題ともつながってくるので、なかなか決着がつかないでしょうが、たいへん興味深い議論です。
フロレシエンシスがエレクトスまたは未知の人類種から派生した新種で、石刃などを使用していたとしたら、現生人類との交流で入手したのか、独自に開発したのか、気になるところです。もし新種であるフロレシエンシスが独自に石刃などを開発したのだとしたら、認知能力の向上と脳の巨大化とを強く人関連づけてきた人類進化の通念について、大きな修正が必要となりそうで、たいへんではありますが楽しみでもあります。
つまり、石材から剥片をとった残りが石核石器とされていたのであり、石核石器が台地や川といった採石場として適した場所で発見される傾向があるのは、剥片(の原形)をとった後の石核を捨て去ったためというわけです。石器製作者たちは、採石場で石材から剥片(の原形)をとり、その剥片(の原形)を別の場所に持ち去ったものと思われます。
こうした行動は、フローレス島では80万年以上前にさかのぼりそうですが、現生人類も同じようにして石材から剥片を得ているので、この点ではエレクトスとフロレシエンシス(小頭症の現生人類との説もあります)と現生人類が同じような行動をとっていたことになります。
以上、ごく簡単に新見解について見てきましたが、石器製作のある側面における100万年近い共通性は、最近ではすっかり劣勢となった多地域進化説にとっては、歓迎すべきことと言えるかもしれません。ただ、現生人類とネアンデルタール人とが同じ石器文化を有していたレヴァントの事例から判断しても、これは現生人類のアフリカ単一起源説を崩す根拠にはなりにくいと言えるでしょう。
フローレス島の80万年前よりもさかのぼる石器は、エレクトスまたはフロレシエンシスの祖先の未知の人類集団(フロレシエンシスがエレクトスの子孫でも現生人類でもない場合)の所産でしょうが(これまでのフローレス島における更新世の石器研究に大過がなければ)、95000年前以降のフローレス島の石器については、石刃などもあることから、現生人類の所産ではないか、との見解が根強くあります。これは、フロレシエンシスが新種の人類なのか現生人類なのか、新種だとしてどのていどの認知能力があったのか、などといった大問題ともつながってくるので、なかなか決着がつかないでしょうが、たいへん興味深い議論です。
フロレシエンシスがエレクトスまたは未知の人類種から派生した新種で、石刃などを使用していたとしたら、現生人類との交流で入手したのか、独自に開発したのか、気になるところです。もし新種であるフロレシエンシスが独自に石刃などを開発したのだとしたら、認知能力の向上と脳の巨大化とを強く人関連づけてきた人類進化の通念について、大きな修正が必要となりそうで、たいへんではありますが楽しみでもあります。
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