『古代文明の謎はどこまで解けたか』I、II、III
ピーター=ジェイムズ、ニック=ソープ著、福岡洋一訳で、Iは2002年7月、IIは2004年1月、IIIは2004年12月に太田出版より刊行されました。原書は1999年の刊行です。『イリヤッド』の元ネタの一つだと、当ブログのコメント欄にてkikiさんよりご教示いただいたので、読んでみました。
いかがわしい説の横行している古代文明について、単純に懐疑的な立場からいかがわしい説を批判するのではなく、原書刊行時点での研究成果をできるだけ取り入れつつ、合理的な解釈を試みた一冊だと言えます。原書の刊行が1999年なので、今となってはやや古い情報に依拠しているのですが、21世紀になってからというもの、古代文明の勉強がほとんど進んでいない私にとっては、教えられるところが少なからずある良書でした。ただ、マヤ文明の崩壊が急激だったとされている点については、1999年の時点といえども、やや時代遅れの認識だったように思われます。
さて、『イリヤッド』に関連した記述では、興味深いものがいくつかあり、本書が『イリヤッド』のじゅうような参考文献であると推測されます。まずはアトランティス伝承の解読についてですが、本書ではアトランティスはタンタリスのことではないかと推測されていて、本書の記述と、『イリヤッド』において赤穴博士から入矢に語られた説明(15巻所収の114話「トロヤの真下」・115話「イリヤの選択」)には重なるところが多分にあります。その他にも、黄金の羊が羊毛で砂金を採取していたことを意味しているとの記述や、クレタ島で刃物の痕跡のある子供の人骨が発見されたことについての記述などがあり、『イリヤッド』の原作者さんが本書を参考にしたことは間違いないと思われます。
『イリヤッド』関連以外でもっとも興味深かったのは、シベリアのディリング=ユアリク遺跡(下部旧石器文化とされます)についての記述で、発掘担当者によると、320~180万年前頃の遺跡である可能性がある、とのことです。さすがにこの年代を採用している研究者はほとんどおらず、その後、熱ルミネッセンス法により、年代は26万年以上前ではないか、と推測されています。
恥ずかしながら、私はこの遺跡についてまったく知らなかったのですが、シベリアの他の遺跡よりも20万年以上古い遺跡ということになります。正直なところ、本当に人類の痕跡なのかという疑問もありますが、人類の痕跡だとしたら、どの人類種が担い手だったのかたいへん気になるところですし、人類の活動範囲についての見直しも必要になるでしょう。また、320~180万年前頃の遺跡だとの見解があることから、この遺跡は、私が6年前に熱心に調べた「人類史の疑惑」の元ネタになったのかもしれず、当時のことを思い出して懐かしくなりました。
いかがわしい説の横行している古代文明について、単純に懐疑的な立場からいかがわしい説を批判するのではなく、原書刊行時点での研究成果をできるだけ取り入れつつ、合理的な解釈を試みた一冊だと言えます。原書の刊行が1999年なので、今となってはやや古い情報に依拠しているのですが、21世紀になってからというもの、古代文明の勉強がほとんど進んでいない私にとっては、教えられるところが少なからずある良書でした。ただ、マヤ文明の崩壊が急激だったとされている点については、1999年の時点といえども、やや時代遅れの認識だったように思われます。
さて、『イリヤッド』に関連した記述では、興味深いものがいくつかあり、本書が『イリヤッド』のじゅうような参考文献であると推測されます。まずはアトランティス伝承の解読についてですが、本書ではアトランティスはタンタリスのことではないかと推測されていて、本書の記述と、『イリヤッド』において赤穴博士から入矢に語られた説明(15巻所収の114話「トロヤの真下」・115話「イリヤの選択」)には重なるところが多分にあります。その他にも、黄金の羊が羊毛で砂金を採取していたことを意味しているとの記述や、クレタ島で刃物の痕跡のある子供の人骨が発見されたことについての記述などがあり、『イリヤッド』の原作者さんが本書を参考にしたことは間違いないと思われます。
『イリヤッド』関連以外でもっとも興味深かったのは、シベリアのディリング=ユアリク遺跡(下部旧石器文化とされます)についての記述で、発掘担当者によると、320~180万年前頃の遺跡である可能性がある、とのことです。さすがにこの年代を採用している研究者はほとんどおらず、その後、熱ルミネッセンス法により、年代は26万年以上前ではないか、と推測されています。
恥ずかしながら、私はこの遺跡についてまったく知らなかったのですが、シベリアの他の遺跡よりも20万年以上古い遺跡ということになります。正直なところ、本当に人類の痕跡なのかという疑問もありますが、人類の痕跡だとしたら、どの人類種が担い手だったのかたいへん気になるところですし、人類の活動範囲についての見直しも必要になるでしょう。また、320~180万年前頃の遺跡だとの見解があることから、この遺跡は、私が6年前に熱心に調べた「人類史の疑惑」の元ネタになったのかもしれず、当時のことを思い出して懐かしくなりました。
この記事へのコメント
またシベリアといっても、広うございまして、例えばその南側のかなり広大な土地はつい100年ほど前まで中国(清朝)領でした。シベリアというと、現在の国境線から、ロシアの一部=ヨーロッパとのつながりをイメージしてしまうのですが、歴史的には中国とのつながりをイメージすべきだと思います。
後、貴方の本ページの文章に「アラスカまたはシベリアの広範な地域で人類の複数の遺体と居住跡とが発見された。」との一文がありましたが、縄文文化なども、このような東北ユーラシアとの関連で見るべきだと思います。
本ページ『子欲居的東アジア世界http://www.eonet.ne.jp/~shiyokkyo/
ネアンデルタール人は現生人類の直接の子孫か否かという論争がなされ、近頃そうではないという説の方が有力に見受けられますが、ネアンデルタール人というのは、どうも欧州部近辺の「特殊現象」のような気がしてきています。今後、発掘が進めば、欧州部以外の土地で、原人と現生人類との中間段階のような化石人骨(現生人類の直接の子孫とも言える)が発見されていくのではないかと思います。
ディリング=ユアリク遺跡は、ネタ元の一つだったのではないか、と思います。
現生人類のアフリカ単一起源説については、かなり証拠がそろっているので、覆すのは多分無理だと思います。
ネアンデルタール人の居住範囲については、現在確認されているところでは、東限はウズベキスタンですので、現在の国境で言えば中華人民共和国と案外近いということになりますから、欧州部近辺のみの存在とは言えないだろうと考えています。
人類の出アフリカは、ハビリスもしくはエレクトス(エルガスター)による200万年前頃のものと、現生人類による10万年前頃以降の2回に単純化される傾向があるのですが、おそらく人類の進化と移住の実態はかなり複雑で、「原人と現生人類との中間段階のような」人類集団がアフリカから世界各地に進出していったのでしょうし、東アジアではそうした人骨も発見されています。
ただ、「原人と現生人類との中間段階のような化石人骨」が東アジアや東南アジアで発見されたとしても、それが現生人類のアフリカ単一起源説を否定することにはならない、と私は考えています。
「現生人類のアフリカ単一起源説」を打ち破るには、結局、アフリカよりも古い、もしくは同年代の化石人骨のユーラシア大陸での数多くの発見を待たなければならないのでしょうね。
現生人類のアフリカ単一起源説を突き崩すには、まずは分子系統学による成果を否定し、そのうえで、人骨の証拠を積み重ねていく必要があると思います。