スティーヴン=オッペンハイマー著、仲村明子訳『人類の足跡10万年全史』
草思社より2007年9月に刊行されました。現生人類の拡散について、気候学や考古学の成果も参照しつつ、おもに遺伝学の分野の研究成果を根拠として、詳細に復元されています。原書の刊行は2003年なので、情報がやや古いのですが、基本的には今でも通用する内容になっていると思いますし、私が不勉強だということもあって、インドや東南アジアの考古学的成果や、アメリカ大陸への移住をめぐる醜聞めいた論争など、本書で新たに知ったことがらも少なからずあり、私にとってはたいへん有益な本になりました。
ただ、原書にあった注と参考文献一覧が割愛され、索引もないのはたいへん残念で、これらがあればたいへんな価値のある名著になったかもしれないことを思うと、残念です。ただ、日本で一般向けの書籍として刊行されることを思うと、仕方のないところかもしれません。
さて、本書の内容についてです。原書刊行時点でのおもだったミトコンドリアDNAとY染色体の分析を引用し、世界的な規模で現生人類の拡散経路と年代を復元した試みは圧巻という感じで、一般向け書籍としてはたいへん意義深い内容になっていると思います。ただ、遺伝学の分野からの人類の拡散の復元には、曖昧なところが少なからず残されているという点については、もうちょっと強調されていたほうがよかったように思われます。
本書の目玉とも言うべきなのは、欧州人も含めての、非アフリカ系の現代人の出自についてです。非アフリカ系の現代人の祖先の出アフリカは1回のみであり、それはエジプトからレヴァントへという「北経路」ではなく、東アフリカから紅海を渡ってアラビア半島南岸に到達するという「南経路」でした(85000年前頃)。この非アフリカ系の祖先集団はさらに海岸沿いにインドまで進み、ペルシア湾岸からインドにかけての地域で遺伝的多様性を育み、早期に東南アジア(75000年前頃)やオーストラリア(65000年前頃)まで進出しますが、レヴァントや欧州への進出は遅れます(5万年前頃)。ミトコンドリアDNAの分析からは、欧州人の直接の遺伝的故郷は、ペルシア湾岸からパキスタンにかけての地域だったと推測されます(もちろん、究極的にはアフリカ起源となります)。
本書ではこのように説かれていますが、本書でも述べられているように、非アフリカ系の現代人の祖先の出アフリカは1回のみという見解は、全面的な賛同を得ているわけではありません。著者によると、「北経路」で出アフリカを果たした現生人類のなかから欧州人の祖先が現れたとする説は、欧州中心主義が反映されているのではないか、とのことですが、疑問の残るところです。著者の欧州中心主義への反感には、私も共感するところが少なからずありますが、この点に関しては拡大解釈的なところが見受けられます。
この問題にかんして本書では、レヴァント地方のスフールやカフゼーの10万年前頃の早期現生人類(解剖学的現代人)は絶滅し、現代に子孫は残さなかったとされていますが、疑問もあります。本書でも指摘されているように、上部旧石器文化であるオーリニャック文化は、欧州だけではなくレヴァントにおいても外来文化として現れ、その故郷はザグロス地域だという見解もあります。本書の指摘通り、湾岸地域からパキスタンにいた現生人類が、気候の温暖化とともに西アジア北部に進出し、ザグロス地域でオーリニャック文化を育んだ後、まだネアンデルタール人のいたレヴァントと欧州に進出した可能性はあるでしょう。
しかし、レヴァントにおいては、オーリニャック文化の到来以前に上部旧石器文化が存在し、それはレヴァントの中部旧石器文化の一類型であるタブンD層型と連続的とされています。タブンD層型の担い手がどの人類種なのか、確定していませんが、タブンD層型は、中部旧石器文化の前期から後期までレヴァント南部に存在しています(同成社『西アジアの考古学』P31~45より)。
タブンD層型の担い手が現生人類だとすると、レヴァントの早期現生人類が絶滅したという見解のみならず、出アフリカの大きな波が「南経路」の1回だけという見解をも突き崩ことになりそうです。こうしたこともあって、現生人類の出アフリカは1回だけではなく複数回あり、経路も複数あった可能性はけっして低くない、と私は考えています。全般的に、本書では人類の移動について単純化されている可能性が高いように思われます。じっさいの人類の移動は、もっと複雑だった可能性が高いのではないでしょうか。
また本書では、リチャード=クライン博士らの提唱する、真に現代的な行動を意味する上部旧石器・後期石器文化は、現生人類の神経系に5万年前頃に突然発生した変異によりもたらされた、とする「創造の爆発論(神経系突然変異説)」に代表される、文化的発展と生物の進化を同一視する見解に疑問が呈されています。さらに、こうした見解と欧州中心主義とが結びつけられて批判されるとともに、ネアンデルタール人と現生人類との間に大きな知的資質の差を認める、近年の風潮にも疑問が呈されています。
このブログにおいて「創造の爆発論」に否定的な見解を述べてきた私は、本書の指摘に肯けるところも少なからずあるのですが、本書ではクライン博士らの説が戯画化されているところがあり、この点は感心しません。確かに、「創造の爆発論」の根底には欧州中心主義があるとは思うのですが、本書で指摘されているような、「真の現代性」は欧州で最初に芽生えた、とする見解を主張する研究者はもはやいないと言ってよく、クライン博士にしても、著書の『5万年前に人類に何が起きたか?』(鈴木淑美訳、新書館、2004年、原書は2002年刊行)において、「真の現代性」が最初に芽生えたのはアフリカだとしています。共感できるところが少なからずあるだけに、こうした詰めの甘さは残念でした。しかし、こうした欠点があるとはいえ、本書が良書であるとの評価に変りはありません。
ただ、原書にあった注と参考文献一覧が割愛され、索引もないのはたいへん残念で、これらがあればたいへんな価値のある名著になったかもしれないことを思うと、残念です。ただ、日本で一般向けの書籍として刊行されることを思うと、仕方のないところかもしれません。
さて、本書の内容についてです。原書刊行時点でのおもだったミトコンドリアDNAとY染色体の分析を引用し、世界的な規模で現生人類の拡散経路と年代を復元した試みは圧巻という感じで、一般向け書籍としてはたいへん意義深い内容になっていると思います。ただ、遺伝学の分野からの人類の拡散の復元には、曖昧なところが少なからず残されているという点については、もうちょっと強調されていたほうがよかったように思われます。
本書の目玉とも言うべきなのは、欧州人も含めての、非アフリカ系の現代人の出自についてです。非アフリカ系の現代人の祖先の出アフリカは1回のみであり、それはエジプトからレヴァントへという「北経路」ではなく、東アフリカから紅海を渡ってアラビア半島南岸に到達するという「南経路」でした(85000年前頃)。この非アフリカ系の祖先集団はさらに海岸沿いにインドまで進み、ペルシア湾岸からインドにかけての地域で遺伝的多様性を育み、早期に東南アジア(75000年前頃)やオーストラリア(65000年前頃)まで進出しますが、レヴァントや欧州への進出は遅れます(5万年前頃)。ミトコンドリアDNAの分析からは、欧州人の直接の遺伝的故郷は、ペルシア湾岸からパキスタンにかけての地域だったと推測されます(もちろん、究極的にはアフリカ起源となります)。
本書ではこのように説かれていますが、本書でも述べられているように、非アフリカ系の現代人の祖先の出アフリカは1回のみという見解は、全面的な賛同を得ているわけではありません。著者によると、「北経路」で出アフリカを果たした現生人類のなかから欧州人の祖先が現れたとする説は、欧州中心主義が反映されているのではないか、とのことですが、疑問の残るところです。著者の欧州中心主義への反感には、私も共感するところが少なからずありますが、この点に関しては拡大解釈的なところが見受けられます。
この問題にかんして本書では、レヴァント地方のスフールやカフゼーの10万年前頃の早期現生人類(解剖学的現代人)は絶滅し、現代に子孫は残さなかったとされていますが、疑問もあります。本書でも指摘されているように、上部旧石器文化であるオーリニャック文化は、欧州だけではなくレヴァントにおいても外来文化として現れ、その故郷はザグロス地域だという見解もあります。本書の指摘通り、湾岸地域からパキスタンにいた現生人類が、気候の温暖化とともに西アジア北部に進出し、ザグロス地域でオーリニャック文化を育んだ後、まだネアンデルタール人のいたレヴァントと欧州に進出した可能性はあるでしょう。
しかし、レヴァントにおいては、オーリニャック文化の到来以前に上部旧石器文化が存在し、それはレヴァントの中部旧石器文化の一類型であるタブンD層型と連続的とされています。タブンD層型の担い手がどの人類種なのか、確定していませんが、タブンD層型は、中部旧石器文化の前期から後期までレヴァント南部に存在しています(同成社『西アジアの考古学』P31~45より)。
タブンD層型の担い手が現生人類だとすると、レヴァントの早期現生人類が絶滅したという見解のみならず、出アフリカの大きな波が「南経路」の1回だけという見解をも突き崩ことになりそうです。こうしたこともあって、現生人類の出アフリカは1回だけではなく複数回あり、経路も複数あった可能性はけっして低くない、と私は考えています。全般的に、本書では人類の移動について単純化されている可能性が高いように思われます。じっさいの人類の移動は、もっと複雑だった可能性が高いのではないでしょうか。
また本書では、リチャード=クライン博士らの提唱する、真に現代的な行動を意味する上部旧石器・後期石器文化は、現生人類の神経系に5万年前頃に突然発生した変異によりもたらされた、とする「創造の爆発論(神経系突然変異説)」に代表される、文化的発展と生物の進化を同一視する見解に疑問が呈されています。さらに、こうした見解と欧州中心主義とが結びつけられて批判されるとともに、ネアンデルタール人と現生人類との間に大きな知的資質の差を認める、近年の風潮にも疑問が呈されています。
このブログにおいて「創造の爆発論」に否定的な見解を述べてきた私は、本書の指摘に肯けるところも少なからずあるのですが、本書ではクライン博士らの説が戯画化されているところがあり、この点は感心しません。確かに、「創造の爆発論」の根底には欧州中心主義があるとは思うのですが、本書で指摘されているような、「真の現代性」は欧州で最初に芽生えた、とする見解を主張する研究者はもはやいないと言ってよく、クライン博士にしても、著書の『5万年前に人類に何が起きたか?』(鈴木淑美訳、新書館、2004年、原書は2002年刊行)において、「真の現代性」が最初に芽生えたのはアフリカだとしています。共感できるところが少なからずあるだけに、こうした詰めの甘さは残念でした。しかし、こうした欠点があるとはいえ、本書が良書であるとの評価に変りはありません。
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