佐々木敏『天使の軍隊』(講談社より2007年4月に刊行)

 最近、中国と北朝鮮が数年後に戦争をするというコピペが出回っていますが、その元ネタは本書の著者の佐々木敏氏のメルマガです。
http://www.akashic-record.com/index.html

 私が佐々木氏の存在を知ったのは、氏のデビュー作の『ゲノムの方舟』を高く評価する記事をネット上で見かけたからなのですが、『ゲノムの方舟』は国際情勢の裏面を描いた小説で、サスペンスとしてはなかなか面白かったと記憶しています。もっとも、同書を読んだのは6年以上前のことなので、記憶に曖昧なところはありますが。

 確か同書には、中国人には効果があっても、日本人には効果のない化学兵器(生物兵器だったかもしれません)が登場し、作中で重要な役割を担っていましたが、中国人や日本人の遺伝的多様性を考えれば、そのような兵器は非現実的ではなかろうか、と思ったことは強く印象に残っています。ただ、『ゲノムの方舟』がなかなか面白かったということもあり、その後、佐々木氏のメルマガをずっと読んできました。

 その佐々木氏の最近の予測が、近い将来の中朝開戦で、地政学的観点からの科学的予測とのことです。本書において、中朝戦争は直接扱われてはいませんが、じゅうような背景として描かれています。ただ、中朝戦争とそれに伴う中国の分裂という設定は、どうも非現実的なように思われます。中朝戦争の可能性については後日あらためて述べるとして、今回は中国の分裂の可能性について触れつつ、この作品の雑感を述べていくことにします。

 確かに中国には、佐々木氏の指摘にあるようなさまざまな問題があり、小説という形ではありますが、佐々木氏の旧作の『龍の仮面』(徳間書店、2002年)においても指摘されていました。その指摘についてはもっともなところが少なからずあるのですが、台湾にとって最善の選択は自由化・民主化された中国との統一だ、とも言われているように、スケールメリットの問題があるので、いかに地域間の格差があり、沿岸部と中央との間に対立があろうとも、中国の政治家・官僚・軍人のなかで、分離・独立を選択する人が大きな影響力を持つにいたる可能性は低いだろうと思います。

 正直なところ、中朝戦争とそれに伴う中国の分裂という本書の設定は、少なからぬ日本人には受けるでしょうが、現実化する可能性はきわめて低そうで、その意味では近未来サスペンスとしての魅力に欠けるところがあるかな、と思います。おそらく、本書を読んだ中国人のなかには、日本人の焦りと劣等感を読み取り、優越感を抱く人もいることでしょう。

 さて、中朝戦争とそれに伴う中国の分裂は、本書のじゅうような背景ではありますが、直接の主題は「新たな戦争」です。有人型(乗り物型)ではないロボットを用いた、人間に損害の出ない新たな形の戦争という設定になっていますが、近い将来にどのていど実現するのか、私ていどの見識では断言できません。ただ、人海戦術に頼らず、高技術の兵器への依存度を強めようとする、米軍をはじめとして先進諸国の軍隊の強い志向に沿った設定であるとは思います。このように、作品の設定に疑問がないわけではありませんが、全体的にはそれなりに読ませる作品になっているとは思います。ただ、佐々木氏の旧作と比較すると、読ませるという点では劣るように感じました。

 また、佐々木氏の旧作と同様に本書も、少なからぬ日本人に嫌悪感をもたれるでしょうが、本書はそのような嫌悪感を抱く層を拡大する結果になるのではないか、と思われます。じゅうらいの佐々木氏の著作は、日本の「良識派」に忌避されるような内容になっていて、それは本書でも変わらないでしょうが、北朝鮮による日本人拉致問題についての本書の記述は、じゅうらい佐々木氏の著作を支持していた層も、かなり反感をいだくのではないかと思われます。

 拉致問題は2002年9月の日朝首脳会談以降、日本社会において有数の禁忌になった感があり、めったなことは言えない風潮が生じてしまったように思われます。もちろん、匿名のブログや掲示板においては、日本社会を批判・否定すれば良識派・先覚者になれると勘違いしているような人が、拉致被害者や家族会・救う会にひどいことを言うことがありますが、そこまでひどい言説ではなくても、大手マスコミでは、家族会・救う会の意思に反するようなことを容易に言えない雰囲気があるのではないでしょうか。

 その意味で、家族会・救う会や多数の日本国民の感情に反するような記述が、創作とはいえ大手出版社から刊行された小説や、実名で発行しているメルマガにあるのは、異例なことだとは思います。私のようにブログや掲示板にて匿名で発言している者ならともかく、プロの作家がこのような発言をするのは、なかなか難しいだろうと思うのですが。もっとも、拉致問題についての佐々木氏の見解が異常なものだと私は考えていませんし、このていどの見解すら発表をはばかるような雰囲気こそ、おかしいだろうと思います。

 余談になりますが、あとがきにて解説されている、『機動戦士ガンダム』シリーズが2020年代には「賞味期限切れ」になっているだろう、との予測は興味深いものでした。かつて「歴史に残る名作」と言われた『巨人の星』は、日本人が大リーグに挑戦するのが普通の時代になり、「巨人の星」を命がけでめざすという設定に若い世代が感情移入できなくなって、「賞味期限切れ」になりました。『機動戦士ガンダム』シリーズに登場する有人型(乗り物型)ロボットなどありえず、今後何百年経ってもリアリティーを持ちえないのだから、『機動戦士ガンダム』もかつての『巨人の星』と同じ運命をたどるだろう、というわけです。

 ただ、詳しくはないので具体的な作品を挙げることはできませんが、SFなどでは、リアリティーを失った設定でも、名作として読まれ続けている作品があるのではないでしょうか。また、『不思議の国のアリス』といった非現実的な幻想的作品のなかにも、長く読まれ続けるものが少なくありません。設定にリアリティーがなくても、話の筋や人間関係の描写などに優れたものがあれば、名作として読まれ続けていくものなのでしょう。私はいわゆる団塊ジュニア世代に属しますが、この世代の男性には珍しく、『機動戦士ガンダム』を見たことがまったくありません。したがって、『機動戦士ガンダム』の魅力について語れるわけではなく、断言はできませんが、リアリティーがなくとも、『機動戦士ガンダム』が名作として長く生命を保つ可能性はあるでしょう。

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