『イリヤッド』の検証・・・1話~7話

 今後は、作中の伏線・疑問点を中心に、1話から順に検証していくことにします。もっとも、検証の都合上、ずっと後の話にも言及することが多々あります。それぞれの話が単行本のどの巻に収録されているかについては、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/iliad001.htm
を参照してください。

●シュリーマンがトロヤで見つけた壺に書かれていた文字について(1話・5話)
 シュリーマンがアトランティスの手がかりと考えたフェニキア文字についてですが、ハインリヒ=シュリーマンの孫のパウル=シュリーマンによると、「アトランティス王クロノスより」というフェニキア文字の刻まれた梟の壺を、ハインリヒ=シュリーマンはトロヤにて発見したということだ、と入矢は6話にて述べています。
 パウルの手記は1912年にニューヨークアメリカン新聞に掲載されましたが、これは秘密結社を恐れて改竄された与太記事だった、とグレコ神父は79話にて述べていますので、梟の壺の文字の話は怪しいかな、と思います。ただ、パウルの日記を読んだユリは、ハインリヒ=シュリーマンのノートに、「アトランティス王クロノスより」という言葉があったことをパウルが記していた、と53話で述べていますので、この件についてさらに検証を進めていきます。

 作中においては、トロヤは紀元前3000年頃からローマ時代まで続いたとされており(112話)、フェニキア人は紀元前12世紀頃に海上貿易に乗り出し(109話)、フェニキア文字は紀元前15世紀頃には生まれていた(6話)、とされています。アトランティスの滅亡年代は、入矢の発言(121話)と「冥界の王」の生存年代(97話)から推測すると、紀元前2500年頃でしょうから、フェニキア文字の刻まれた梟の壺の文字は、おそらくアトランティス文明の後継者であるタルテッソス文明の時代のものでしょう。
 そうすると、フェニキア文字で「アトランティス王クロノスより」とあるのは不自然に思えますし、そもそも、アトランティス文明やタルテッソス文明の人々が自勢力をどのように呼んでいたのか、作中では明らかにされていません。どうも、トロヤで発掘された梟の壺に「アトランティス王クロノスより」という文字が刻まれていたとすると、不自然な感があるのですが、「彼の島」を指す言葉として、フェニキア人によってアトランティスがわりと古くから用いられていたとすると、ありえない話ではありません。
 色々と悩むところではありますが、この「アトランティス王クロノスより」との記述は、ディオドロス『歴史叢書』の一節と符合しますので(73話)、ディオドロス『歴史叢書』をアトランティス探索の手がかりと考えていたシュリーマンが、『歴史叢書』を参照しつつ解読した成果であり、シュリーマンがトロヤで発見した梟の壺には、「アトランティス王クロノスより」という文字がその通りに刻まれていたわけではない、と考えるほうが自然であるように思われます。

 この他にもシュリーマンはトロヤにおいて、文字らしきものが刻まれていた壺を二つ発見しました(5話)。そのうちの一つには、漢字の「月」と似た文字らしきものが、もう一つには、漢字の「日」と似た文字らしきものが刻まれており、シュリーマンはこの文字が漢字である可能性も考えていました。赤穴博士は、「月」はギリシア文字、「日」はフェニキア文字である可能性を指摘し、どちらも「垣・壁・障壁」という意味だ、と述べました(59話)。
 アトランティス文明の発祥地であり都だったのは、スペイン南西部の、セビーリャを頂点としてティント川とグアダルキヴィル川に挟まれた三角地帯内(場所はこの地図を参照してください)と思われますが、フェニキア人はこの近くの島をガデイラと呼んでいました(120話)。ガデイラとは、壁・障壁・砦という意味です。シュリーマンがトロヤで発見した、「月」・「日」らしき文字の刻まれた壺は、アトランティスの場所の手がかりだった、ということなのでしょう。

●シュリーマンがトロヤで発見した、稚拙な作りの壺について(6~7話)
 トロヤで発見された壺のなかには、梟の形の稚拙な作りのものがあり、他の壺が精巧な出来なのになぜだろう?と入矢は疑問を呈しています。けっきょく入矢は、梟の壺は大事なものだったので、手で焼いたのだろう、と推測しています(王自ら焼いたかもしれない、とも述べています)。
 グルジアの国立歴史地理学館の館長の推測(116話)が正しければ、トロヤを建国したのはイベリア族であり、アトランティス文明の植民地とまで言ってよいかどうかはともかくとして、アトランティス文明と密接な関係があったのは間違いないでしょう。おそらくトロヤで発掘された壺のなかには、アトランティス文明もしくはその後継者のタルテッソス文明から送られたものもあったのでしょう。またフェニキア文字の刻まれた壺は、広く海洋貿易に乗り出したフェニキア人が献上したものでしょう。もちろん、トロヤで創られたものも多くあったと思われます。

 梟の神とは、元々はネアンデルタール人のことでした(123話)。ネアンデルタール人は現生人類によって文明・知恵の源とされ、神としても崇められるようになったと思われるので、確かに梟の壺はじゅうようなものだったのでしょう。タルテッソス文明は、アトランティス文明からネアンデルタール人の言葉を継承して柱に刻んでいますし(123話)、フェニキア人はソロモン王の命でアトランティス文明について調査していますので(86話)、梟の壺を作った人々は、梟が元々はネアンデルタール人を指していたことを知っていたものと思われます。
 フェニキア人は、ミノア文明から優れた航海技術を吸収して発展したとされていますが(109話)、タルテッソス文明と同じ構造(迷路状)の地下宮殿を築いており(120話)、ミノア文明にも同じく迷路状の構造の建築物があることを入矢は指摘していますから(81話)、ミノア文明も、アトランティス文明の強い影響を受けていたのでしょう。そうすると、フェニキア人はソロモン王の命を受けるずっと前より、梟とネアンデルタール人との関係に気づいていた可能性があります。

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