『イリヤッド』における『ヌビア聖書』の解釈について
10巻所収の80話「隅の老婆」において、プリツェルが『ヌビア聖書』の一節をデメルに紹介しています。プリツェルによると、『ヌビア聖書』は『旧約聖書』以前の神の経典とのことですが、プリツェルの紹介した一節とは、「創造神プタハが言葉を発すると、世界が誕生した・・・神は御自分にかたどり人を創る前に、“山の老人”に命じ彼の島を沈めた」です。
以前は、『ヌビア聖書』に見える「山の老人」とは秘密結社の会員である一部のアトランティス人のことで、アトランティス人が人類の禁忌を語り伝えてきたことを憂い、外部勢力と結託してアトランティス文明を攻撃し、自らを滅ぼそうとしたことを意味するのではないか、と考えていました。そうすると、アリストテレスの「アトランティスはそれを創造した者自らが破壊した」という発言も理解しやすくなります。
しかし、121話「彼らは夢を見る」のグレコ神父の発言によると、
https://sicambre.seesaa.net/article/200705article_19.html
「山の老人」とはネアンデルタール人のことを指すようですので、上記の解釈は間違いとなります。「山の老人」がネアンデルタール人だとすると、人類誕生以前に「山の老人」が存在したのか?というデメルとプリツェルの疑問は解消しそうです。つまり、ここでの人類とはアダムとイブの子である現生人類(ホモ=サピエンス)であり、現生人類はネアンデルタール人と出会ってはじめて高度な精神生活を送るようになり、真に人になったと考えれば、ネアンデルタール人である「山の老人」が人類誕生以前に存在していた、と解釈することが可能になります。
しかし、この解釈ではデメルとプリツェルの疑問に答えられても、文全体の解読はできません。人が(ネアンデルタール人と出会って高度な精神生活を送るようになった)現生人類、「山の老人」がネアンデルタール人だとして、神とは何を指すのか、アトランティスの滅亡は紀元前2500年頃ではないのか、といった疑問が生じ、よけいに分からなくなったような感さえあります。
人類の禁忌の核心は、最初の神の正体のこととされていますので、『ヌビア聖書』のこの一節における神も、人類の禁忌が判明するまでは推測の難しいところです。それいじょうに解釈が難しいのは、人類誕生以前に、「山の老人」が神に命じられて彼の島を沈めたということです。彼の島がアトランティスだとすると、アマゾネス族に攻められた直後に地震で沈んだとする設定と矛盾します。
『ヌビア聖書』のこの一節はかなり抽象的なので、私ていどの読解力だと解釈が難しいのですが、まずは神についてです。人類の禁忌の核心は最初の神の正体であり、秘密結社が隠蔽したいのが「山の老人」の記憶だとすると、おそらく神とは人々の心の中にあるもので、ネアンデルタール人の神についての観念・伝説が禁忌になるのではないか、と思います。
神は人々の心の中にあるというと、ジュリアン=ジェインズ『神々の沈黙』で提唱された「二分心」説に通ずるものがありますが、それはともかくとして、ネアンデルタール人にとって、神との交信は自己の内部での対話であり、神とは超越的な存在ではなく自分に他ならないのだとしたら、あるいはすべての宗教の禁忌になるかなという気もしますが、やはり説得力に欠けるのは否めませんし、梟に似た柱状の偶像やコイ族の伝説をうまく説明できません。
ただ、現時点ではほかに思いつきませんので、この解釈を前提に『ヌビア聖書』の一節についてさらに考えていくと、神が「“山の老人”に命じ彼の島を沈めた」とは、「山の老人」であるネアンデルタール人の記憶が、アトランティス滅亡の原因になったことを意味しているのかもしれません。
ネアンデルタール人から聞いたある真実を語り伝えてきたアトランティス人ですが、これが人類にとって忌まわしい隠蔽すべき真実だと考える一派が現れ、他のアトランティス人を裏切って外部勢力のアマゾネスと組み、アマゾネスのアトランティスへの侵攻を助け、その戦いの最中にアトランティスは地震で滅亡した、と推測してみたのですが、コイ族の伝説など未解決の伏線をすべて説明できるわけではないので、やはり外れの可能性が高いかな、と思います。
相変わらず説得力のある仮説を提示できませんでしたが、最終的には、これまでの伏線がすべて回収されるような設定が明かされることを期待しています。
以前は、『ヌビア聖書』に見える「山の老人」とは秘密結社の会員である一部のアトランティス人のことで、アトランティス人が人類の禁忌を語り伝えてきたことを憂い、外部勢力と結託してアトランティス文明を攻撃し、自らを滅ぼそうとしたことを意味するのではないか、と考えていました。そうすると、アリストテレスの「アトランティスはそれを創造した者自らが破壊した」という発言も理解しやすくなります。
しかし、121話「彼らは夢を見る」のグレコ神父の発言によると、
https://sicambre.seesaa.net/article/200705article_19.html
「山の老人」とはネアンデルタール人のことを指すようですので、上記の解釈は間違いとなります。「山の老人」がネアンデルタール人だとすると、人類誕生以前に「山の老人」が存在したのか?というデメルとプリツェルの疑問は解消しそうです。つまり、ここでの人類とはアダムとイブの子である現生人類(ホモ=サピエンス)であり、現生人類はネアンデルタール人と出会ってはじめて高度な精神生活を送るようになり、真に人になったと考えれば、ネアンデルタール人である「山の老人」が人類誕生以前に存在していた、と解釈することが可能になります。
しかし、この解釈ではデメルとプリツェルの疑問に答えられても、文全体の解読はできません。人が(ネアンデルタール人と出会って高度な精神生活を送るようになった)現生人類、「山の老人」がネアンデルタール人だとして、神とは何を指すのか、アトランティスの滅亡は紀元前2500年頃ではないのか、といった疑問が生じ、よけいに分からなくなったような感さえあります。
人類の禁忌の核心は、最初の神の正体のこととされていますので、『ヌビア聖書』のこの一節における神も、人類の禁忌が判明するまでは推測の難しいところです。それいじょうに解釈が難しいのは、人類誕生以前に、「山の老人」が神に命じられて彼の島を沈めたということです。彼の島がアトランティスだとすると、アマゾネス族に攻められた直後に地震で沈んだとする設定と矛盾します。
『ヌビア聖書』のこの一節はかなり抽象的なので、私ていどの読解力だと解釈が難しいのですが、まずは神についてです。人類の禁忌の核心は最初の神の正体であり、秘密結社が隠蔽したいのが「山の老人」の記憶だとすると、おそらく神とは人々の心の中にあるもので、ネアンデルタール人の神についての観念・伝説が禁忌になるのではないか、と思います。
神は人々の心の中にあるというと、ジュリアン=ジェインズ『神々の沈黙』で提唱された「二分心」説に通ずるものがありますが、それはともかくとして、ネアンデルタール人にとって、神との交信は自己の内部での対話であり、神とは超越的な存在ではなく自分に他ならないのだとしたら、あるいはすべての宗教の禁忌になるかなという気もしますが、やはり説得力に欠けるのは否めませんし、梟に似た柱状の偶像やコイ族の伝説をうまく説明できません。
ただ、現時点ではほかに思いつきませんので、この解釈を前提に『ヌビア聖書』の一節についてさらに考えていくと、神が「“山の老人”に命じ彼の島を沈めた」とは、「山の老人」であるネアンデルタール人の記憶が、アトランティス滅亡の原因になったことを意味しているのかもしれません。
ネアンデルタール人から聞いたある真実を語り伝えてきたアトランティス人ですが、これが人類にとって忌まわしい隠蔽すべき真実だと考える一派が現れ、他のアトランティス人を裏切って外部勢力のアマゾネスと組み、アマゾネスのアトランティスへの侵攻を助け、その戦いの最中にアトランティスは地震で滅亡した、と推測してみたのですが、コイ族の伝説など未解決の伏線をすべて説明できるわけではないので、やはり外れの可能性が高いかな、と思います。
相変わらず説得力のある仮説を提示できませんでしたが、最終的には、これまでの伏線がすべて回収されるような設定が明かされることを期待しています。
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