『イリヤッド』人類の禁忌について
最新号の121話「彼らは夢を見る」
https://sicambre.seesaa.net/article/200705article_19.html
において、人類の禁忌について核心に迫る情報が明かされ、上記のブログの記事において自分の見解を述べましたが、私自身もあまり考えがまとまらないうちでの執筆だったので、自分の考えを整理するという意味で、120話までに明かされた情報とあわせて、人類の禁忌について再度私見を述べていくことにします。
人類の禁忌にネアンデルタール人が深く関わっているのは、121話だけではなく、118話
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_22.html
における「お互いの素性を明かさないのが、何万年も秘密を保持する道でね」とのオコーナーの発言からも、まず間違いのないところだと思います。では、ネアンデルタール人がどう関わっているのかというと、121話においてグレコ神父がかなりのところを明かしているので、再度整理しておきます。
「山の老人」や「古き告訴人」や「秘密の箱を運ぶ人々」という通名の秘密結社の目的は、「山の老人」である「彼ら」の記憶を消し去ることです。なぜなら、「彼ら」の伝説が許せないからです。このグレコ神父の発言の意味するところを理解するためにも、グレコ神父の発言を丁寧に追っていくことにします。
大自然に翻弄されて獣の餌にすぎず、日々不安で眠ることもできなくて、夢を見る能力すらなかった「アダムとイブの子」は絶滅寸前でしたが、「アダムとイブの子」ではない「彼ら」はよく夢を見て、聖者や高僧のように夢想し、心のカンバスに絵を描くこともできました。しかし、「彼ら」は言語には長けていなかったので、文明を持つ必要がありませんでした。「我々」は言葉を、「彼ら」は夢を教え、ようやく神と交信できた「我々」はその後飛躍的に進化し、熊・蛇・牡牛などありとあらゆる獣を神の化身と誤解し、ときには人を切り裂いて食すことまでしました。
このように述べたグレコ神父は、自分はその呪われた愚かさも許せるが、「彼ら」の伝説は許せないと言って、アマゾネス族の人類最大の貢献は、あの柱を梟と言い張ったことだ、述べます。呪われた愚かさとグレコ神父が述べているのは、キリスト教徒というかセム系一神教の信者である立場からのものだと思われます。人類の禁忌はすべての宗教に関わる呪われた秘密なので、グレコ神父も述べているように、「我々」が獣を神の化身と誤解したことは、秘密結社にとっては問題ではないのでしょう。
このグレコ神父の発言からすると、「アダムとイブの子」は「我々」ですから、現生人類(ホモ=サピエンス)のことでしょう。「彼ら」とは、おそらくネアンデルタール人のことと思われますが、「夢を見る」とは、文字通りの意味というだけではなく、豊かな想像力・精神性をも意味しているのではないかと思われます。つまり現生人類は、ネアンデルタール人と出会うまでは惨めで野蛮な生物にすぎず、ネアンデルタール人と出会ってはじめて、神を信仰するなど「高度な精神活動」を行なうようになった、ということなのでしょう。
グレコ神父にとって許せないのは「彼ら」の伝説であり、「彼ら」の記憶を消し去るのが秘密結社の目的ということは、現生人類がネアンデルタール人に言語を教えた結果、ネアンデルタール人が現生人類に言語で自らの記憶・伝説を伝えることができるようになり、その記憶・伝説は現生人類であるアトランティス人によって語り伝えられてきたが、それは人類にとって忌まわしい呪われた秘密でもあった、ということなのだと思います。
ここで問題となるのは、全人類またはすべての宗教にとって共通の禁忌なのに、なぜアトランティス人以外の人々の間では語り伝えられてこなかったのか、ということですが、ギリシアのミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』の兎の話や出雲の兎の民話やアフリカのコイ族の兎の伝説は、「彼ら」の記憶・伝説が抽象的な形で語り伝えられてきたものなのかもしれません。
アトランティス人以外の現生人類は、その記憶・伝説を直視する勇気がないために、抽象的な形で語り伝えてきて夢を見られたのにたいして、アトランティス人は直視して語り伝えてきたために、「アトランティス人は夢を見ない」とヘロドトス『歴史』に記されたのかもしれません。
ただ、アフリカのコイ族は、その祖先がかなり古くからアフリカ南部にとどまっていた可能性があり、ネアンデルタール人と遭遇したとは考えにくいので、私の推測には苦しいところがあると言えます。もっとも、『イリヤッド』におけるネアンデルタール人の設定についてはかなりの創作があるでしょうし、7巻所収の52話「人類の誕生」において、プリツェルが語った現代人の起源についての説(現代人の祖先は8万年前頃にアフリカからイエメンに渡った200~300人の集団)がそのまま作中での設定だとすると、現代人の祖先全員がその後北上し、イラクやレヴァントあたりでネアンデルタール人と遭遇したとしても、不思議ではないでしょう。
またプリツェルは、現生人類には、紅海を渡った一団の他に、ジブラルタル海峡を渡ってアフリカからイベリア半島へと至った一団がいて、アトランティス人の祖先となったのではないかとも述べていて、そうだとすると、アトランティス人とそれ以外の現生人類とで、ネアンデルタール人の記憶・伝説にたいする対応が違っていることもうまく説明できそうです。
では、人類にとって禁忌となるようなネアンデルタール人の記憶・伝説とは何なのかというと、現時点ではどうもよく分かりませんが、じゅうような手がかりになりそうなのは、イベリア半島の新石器時代の遺跡からよく出土する柱状の偶像です。これは梟を模したとされていますが、グレコ神父によるとこれは梟ではなく、これを梟と言い張ったことが、アマゾネス族の人類最大の貢献とのことですから、この柱が何を意味するのかということが分かれば、人類の禁忌も解き明かせそうです。
グレコ神父によると、イベリア半島南部ではルーキアという太陽の女神が伝えられてきましたが、そのルーキアこそが梟に見える柱とのことです。ルーキアは、ゲルマンやケルトの太陽神に変化し、キリスト教では悪魔とされるルキフェル(ルシファー)になりました。この柱には、キリスト教では悪魔とされるような忌まわしい秘密が隠されているということなのでしょうが、その意味するところはどうもよく分かりません。
そこで、以前作中で明かされた昔話に注目してみようと思います。ミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』には、以下のような話が収録されていた、という設定になっています。
●朝は鷲。昼はライオン。夜は人間の女。明け方に山から来た三本足の怪物に殺されるもの、なあに?
●キリギリスは夜空を飛ぶコウモリにいった。「コウモリさん、コウモリさん、お願いです。満月がまぶしすぎて眠れません。どうか月を齧ってくれませんか?」
コウモリはいった。「お安い御用だ」
だがコウモリが月を齧ってしまうと、キリギリスは死んでしまった。
●気まぐれな月は闇夜にいつも形を変え、時には姿を隠しました。怒った村人はみんなで相談し、猟師に頼んで月を黒い壁に打ちつけてもらいました。
出雲の民話では、兎の住む鉄のある豊かな山を欲しがった川下の神様が、兎を騙して捕えて火あぶりにしたところ、真っ赤に身を焼かれながら兎が足を踏み鳴らし、大地に地震がおきて川は氾濫し、神様は土地を失って逃げ出したが、兎はその後山にこもって、時おり真っ赤に焼けただれた姿で村人を呪ったり、村人の姿を消したりする、とされています。また出雲の民話では、出雲人は最初の日本人でありながら何もせず、次に来た人々に都市を明け渡したが、それを赤兎は怨んでいる、ともされています。
アフリカのコイ族の伝説では、月が欠けても甦るように、人もまた甦るという真理を人に伝えるよう月から仰せつかった兎は、月は甦るが人は甦らない、とうっかり逆のことを伝えてしまい、その結果人は死すべき運命になった、とされています。赤穴博士によると、兎は最初に都市を築いた人々の象徴で、月は初期の農耕民族にとって太陽よりじゅうような神でした。
これらのうち、月にまつわる昔話が人類の禁忌に関係があるように思われ、とくにコイ族の伝説は、核心に迫るものではないかと思われます。しかし、これが何を意味しているのかというと、抽象的な物語なので、私の読解力ではよく分かりません。作中では、イエスやヘラクレスのように死んで甦った者は神になる、とされていますので、そのこととも関係がありそうです。人は皆神になり得るのであり、神は特別な存在ではない、ということなのでしょうか?
出雲の民話は、アトランティスがアマゾネス族に攻められ、内部の裏切りにもあって騙まし討ちのような形で滅亡したか、騙まし討ちにあってあっさりとアマゾネス族に国を明け渡したこと(ミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』の「柱の王国」にも通ずるところがあります)を意味するのではないかと考えていたのですが、あるいは人類の禁忌を象徴的に語り伝えたものなのかもしれません。山にこもったというのは、「山の老人」という呼称の由来と関係があるのかもしれませんが、その意味するところはとなると、現時点ではうまく説明できません。
長々と書いてきたわりには、どうもよく分からないというばかりで、謎解きはまったく進みませんでしたが、多少整理はできたかな、とは思います。次号の発売は6月5日ですので、それまでに新たに思いついたことがあれば、このブログにて述べることにします。
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において、人類の禁忌について核心に迫る情報が明かされ、上記のブログの記事において自分の見解を述べましたが、私自身もあまり考えがまとまらないうちでの執筆だったので、自分の考えを整理するという意味で、120話までに明かされた情報とあわせて、人類の禁忌について再度私見を述べていくことにします。
人類の禁忌にネアンデルタール人が深く関わっているのは、121話だけではなく、118話
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_22.html
における「お互いの素性を明かさないのが、何万年も秘密を保持する道でね」とのオコーナーの発言からも、まず間違いのないところだと思います。では、ネアンデルタール人がどう関わっているのかというと、121話においてグレコ神父がかなりのところを明かしているので、再度整理しておきます。
「山の老人」や「古き告訴人」や「秘密の箱を運ぶ人々」という通名の秘密結社の目的は、「山の老人」である「彼ら」の記憶を消し去ることです。なぜなら、「彼ら」の伝説が許せないからです。このグレコ神父の発言の意味するところを理解するためにも、グレコ神父の発言を丁寧に追っていくことにします。
大自然に翻弄されて獣の餌にすぎず、日々不安で眠ることもできなくて、夢を見る能力すらなかった「アダムとイブの子」は絶滅寸前でしたが、「アダムとイブの子」ではない「彼ら」はよく夢を見て、聖者や高僧のように夢想し、心のカンバスに絵を描くこともできました。しかし、「彼ら」は言語には長けていなかったので、文明を持つ必要がありませんでした。「我々」は言葉を、「彼ら」は夢を教え、ようやく神と交信できた「我々」はその後飛躍的に進化し、熊・蛇・牡牛などありとあらゆる獣を神の化身と誤解し、ときには人を切り裂いて食すことまでしました。
このように述べたグレコ神父は、自分はその呪われた愚かさも許せるが、「彼ら」の伝説は許せないと言って、アマゾネス族の人類最大の貢献は、あの柱を梟と言い張ったことだ、述べます。呪われた愚かさとグレコ神父が述べているのは、キリスト教徒というかセム系一神教の信者である立場からのものだと思われます。人類の禁忌はすべての宗教に関わる呪われた秘密なので、グレコ神父も述べているように、「我々」が獣を神の化身と誤解したことは、秘密結社にとっては問題ではないのでしょう。
このグレコ神父の発言からすると、「アダムとイブの子」は「我々」ですから、現生人類(ホモ=サピエンス)のことでしょう。「彼ら」とは、おそらくネアンデルタール人のことと思われますが、「夢を見る」とは、文字通りの意味というだけではなく、豊かな想像力・精神性をも意味しているのではないかと思われます。つまり現生人類は、ネアンデルタール人と出会うまでは惨めで野蛮な生物にすぎず、ネアンデルタール人と出会ってはじめて、神を信仰するなど「高度な精神活動」を行なうようになった、ということなのでしょう。
グレコ神父にとって許せないのは「彼ら」の伝説であり、「彼ら」の記憶を消し去るのが秘密結社の目的ということは、現生人類がネアンデルタール人に言語を教えた結果、ネアンデルタール人が現生人類に言語で自らの記憶・伝説を伝えることができるようになり、その記憶・伝説は現生人類であるアトランティス人によって語り伝えられてきたが、それは人類にとって忌まわしい呪われた秘密でもあった、ということなのだと思います。
ここで問題となるのは、全人類またはすべての宗教にとって共通の禁忌なのに、なぜアトランティス人以外の人々の間では語り伝えられてこなかったのか、ということですが、ギリシアのミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』の兎の話や出雲の兎の民話やアフリカのコイ族の兎の伝説は、「彼ら」の記憶・伝説が抽象的な形で語り伝えられてきたものなのかもしれません。
アトランティス人以外の現生人類は、その記憶・伝説を直視する勇気がないために、抽象的な形で語り伝えてきて夢を見られたのにたいして、アトランティス人は直視して語り伝えてきたために、「アトランティス人は夢を見ない」とヘロドトス『歴史』に記されたのかもしれません。
ただ、アフリカのコイ族は、その祖先がかなり古くからアフリカ南部にとどまっていた可能性があり、ネアンデルタール人と遭遇したとは考えにくいので、私の推測には苦しいところがあると言えます。もっとも、『イリヤッド』におけるネアンデルタール人の設定についてはかなりの創作があるでしょうし、7巻所収の52話「人類の誕生」において、プリツェルが語った現代人の起源についての説(現代人の祖先は8万年前頃にアフリカからイエメンに渡った200~300人の集団)がそのまま作中での設定だとすると、現代人の祖先全員がその後北上し、イラクやレヴァントあたりでネアンデルタール人と遭遇したとしても、不思議ではないでしょう。
またプリツェルは、現生人類には、紅海を渡った一団の他に、ジブラルタル海峡を渡ってアフリカからイベリア半島へと至った一団がいて、アトランティス人の祖先となったのではないかとも述べていて、そうだとすると、アトランティス人とそれ以外の現生人類とで、ネアンデルタール人の記憶・伝説にたいする対応が違っていることもうまく説明できそうです。
では、人類にとって禁忌となるようなネアンデルタール人の記憶・伝説とは何なのかというと、現時点ではどうもよく分かりませんが、じゅうような手がかりになりそうなのは、イベリア半島の新石器時代の遺跡からよく出土する柱状の偶像です。これは梟を模したとされていますが、グレコ神父によるとこれは梟ではなく、これを梟と言い張ったことが、アマゾネス族の人類最大の貢献とのことですから、この柱が何を意味するのかということが分かれば、人類の禁忌も解き明かせそうです。
グレコ神父によると、イベリア半島南部ではルーキアという太陽の女神が伝えられてきましたが、そのルーキアこそが梟に見える柱とのことです。ルーキアは、ゲルマンやケルトの太陽神に変化し、キリスト教では悪魔とされるルキフェル(ルシファー)になりました。この柱には、キリスト教では悪魔とされるような忌まわしい秘密が隠されているということなのでしょうが、その意味するところはどうもよく分かりません。
そこで、以前作中で明かされた昔話に注目してみようと思います。ミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』には、以下のような話が収録されていた、という設定になっています。
●朝は鷲。昼はライオン。夜は人間の女。明け方に山から来た三本足の怪物に殺されるもの、なあに?
●キリギリスは夜空を飛ぶコウモリにいった。「コウモリさん、コウモリさん、お願いです。満月がまぶしすぎて眠れません。どうか月を齧ってくれませんか?」
コウモリはいった。「お安い御用だ」
だがコウモリが月を齧ってしまうと、キリギリスは死んでしまった。
●気まぐれな月は闇夜にいつも形を変え、時には姿を隠しました。怒った村人はみんなで相談し、猟師に頼んで月を黒い壁に打ちつけてもらいました。
出雲の民話では、兎の住む鉄のある豊かな山を欲しがった川下の神様が、兎を騙して捕えて火あぶりにしたところ、真っ赤に身を焼かれながら兎が足を踏み鳴らし、大地に地震がおきて川は氾濫し、神様は土地を失って逃げ出したが、兎はその後山にこもって、時おり真っ赤に焼けただれた姿で村人を呪ったり、村人の姿を消したりする、とされています。また出雲の民話では、出雲人は最初の日本人でありながら何もせず、次に来た人々に都市を明け渡したが、それを赤兎は怨んでいる、ともされています。
アフリカのコイ族の伝説では、月が欠けても甦るように、人もまた甦るという真理を人に伝えるよう月から仰せつかった兎は、月は甦るが人は甦らない、とうっかり逆のことを伝えてしまい、その結果人は死すべき運命になった、とされています。赤穴博士によると、兎は最初に都市を築いた人々の象徴で、月は初期の農耕民族にとって太陽よりじゅうような神でした。
これらのうち、月にまつわる昔話が人類の禁忌に関係があるように思われ、とくにコイ族の伝説は、核心に迫るものではないかと思われます。しかし、これが何を意味しているのかというと、抽象的な物語なので、私の読解力ではよく分かりません。作中では、イエスやヘラクレスのように死んで甦った者は神になる、とされていますので、そのこととも関係がありそうです。人は皆神になり得るのであり、神は特別な存在ではない、ということなのでしょうか?
出雲の民話は、アトランティスがアマゾネス族に攻められ、内部の裏切りにもあって騙まし討ちのような形で滅亡したか、騙まし討ちにあってあっさりとアマゾネス族に国を明け渡したこと(ミハリス=アウゲリス編纂の『イソップ物語』の「柱の王国」にも通ずるところがあります)を意味するのではないかと考えていたのですが、あるいは人類の禁忌を象徴的に語り伝えたものなのかもしれません。山にこもったというのは、「山の老人」という呼称の由来と関係があるのかもしれませんが、その意味するところはとなると、現時点ではうまく説明できません。
長々と書いてきたわりには、どうもよく分からないというばかりで、謎解きはまったく進みませんでしたが、多少整理はできたかな、とは思います。次号の発売は6月5日ですので、それまでに新たに思いついたことがあれば、このブログにて述べることにします。
この記事へのコメント
私もいろいろ考えてみました。
グレコ神父のいう「彼らの記憶」とは「人類の禁忌」のことでもあり、「人類最初の神の正体」のことでもあります。で、これを消し去ること、隠し続けることは、「世界中の神様を守ること」であり、宗派を超えた多くの宗教家がグレコ神父に協力しているわけです。真実が明らかになった時、そのショックに耐えられるのは、「宗教のない」日本人です。
このように考えると、グレコ神父らが隠したかったことは、「神は存在しない」、「神は人間である」、「神は人間が生み出したものである」と、このようなことではないかな、と思います。これなら、あらゆる宗教家が結束して葬ろうとする真実になりえると思います。
神への信仰(=夢)が「種が絶滅しそうな状況」で、彼ら(=ネアンデルタール人)から与えられて生じる(=何か心のよりどころを作り出すため?)と考えれば、アトランティスだけは他の現世人類と違って、その豊さゆえに「神を必要としなかった(=夢を見なくてもよい)」文明なのかもしれません。
私が今回述べた「神は特別な存在ではない」というのも、「神は存在しない」、「神は人間である」、「神は人間が生み出したものである」ということにつながっていくのですが、それはネアンデルタール人の信仰が間違っており、我々の信仰が正しいのだと考えればすむ話で、全宗教の禁忌とするには弱いかな、とも思います。
ただ、「神は存在しない」ということ以上の禁忌を設定するのはなかなか難しいかな、とも思いますので、おっしゃるような禁忌に落ち着きそうな感があります。
人類の禁忌とは、現生人類は「神」に創られたのだが、それ以前にも「神」に創られた人類(ネアンデルタール人)が居たこと。 また神は現生人類の後に、狒々を次の人類の座に就けようと計画していることだと思います。
つまり、イリヤッドの世界の「神」は、宗教で語られる神のように人類を愛し守ってくれる存在ではなく、まるで実験室での遺伝子操作のように、気まぐれで現生人類を創造したに過ぎない。
ということだと思います。
キリスト教文化圏では「神は愛なり」と教えています。 イエス・キリストの言葉です。 しかし、もし神が愛ではなかったら?
神は人間を全く愛していないとすれば? 「人類が創造主である神に愛されていない」という事実や証拠が出てくれば、キリスト教文化の根底が崩れるでしょう。 人類は夢(希望)をもてなくなるでしょう。 イエス・キリストは人類に夢を持たせるために、あえて真実とは正反対の「神は愛なり」と説いたのでしょう。
グレコ神父は、すべての真実を知っていたので、絶望し苦悩し、夢を見ることが出来なくなり涙を流していたのです。
実際、入矢修造は、「神に愛されているかどうかはたいした問題ではない」と言っています。 自分自身がどのように生きるかが大事だと言っています。
作品のこの時点で、人類の禁忌の謎と、それに対する入矢の考えが明らかにされています。
漫画「イリヤッド」のテーマは、夢(希望)を持つことです。 原作者が人類の禁忌をぼやかしたのは、意図的なものだったと思います。 謎ナゾとして作中に
ヒントをちりばめ読者に託したのだと思います。 作品の導入部分で、腕時計を仕入れてきた若者に夢を見ることの大切さを説き、ルイがなぞなぞを持って現れることで、既にほのめかしています。
キリスト教世界にとって都合の悪い事実を隠すため、ネアンデルタール人は、ルシファー(悪魔)とされてしまいました。 サタン(悪魔)は、「神を訴える者」という意味から転化したのだそうです。 「神を訴える者」と「古き告訴人」は同じ意味ですね。 事実を隠蔽するために、ネアンデルタール人=悪魔=山の老人とされたのです。
神が存在しないという真実と、神は存在したが人類を愛していないという真実とでは、どちらが影響が大きいでしょうか?
長文失礼いたしました。
「イリヤッド」本編と関係ないように思われる、16話、46話、61話については、「神が人類を愛していないとしても、、、相手が自分を愛していなくても、理解してくれなくても、それにこだわるよりも、自分がどのように行動するかの大切さ」という、「イリヤッド」のサブ・テーマで共通すると思います。
それはネアンデルタール人にとっては神話では無くて「家畜類人猿管理マニュアル手引書」の様なものだったとすれば。
そして、そのネアンデルタール人が何等かの理由で絶滅した後に、アトランティス人が崇拝する神であったネアンデルタール人に似せて人類が創造された。
それはアトランティス人がネアンデルタール人に姿が似ていなかったからでは無いかと思う。
オチとしてはアトランティス人は猿の惑星だった。