アボリジニーのDNA分析
オーストラリアの人類は、4万年前頃には華奢型だったのに1万数千年前頃には頑丈型になったとよく言われていて、古人類学上の謎であるとされてきましたが、多地域進化説では、オーストラリアには東アジア南部起源の華奢な系統の人類と、エレクトスの子孫である東南アジア起源の頑丈型の系統の人類がいて、両者の混血の結果として現代アボリジニーが誕生したとされていて、オーストラリアの古人骨は多地域進化説のじゅうような根拠とされてきました。しかし、これは性別の違いを反映したものだとの批判もあります。また、ディンゴが5000~4000年前頃に持ち込まれたことや、新たな石器技術の出現といったこの1万年間のオーストラリアの変化は、完新世になってのアジアからオーストラリアへの人類集団の移住を示すものではないか、ともされてきました。
しかし、現代のアボリジニーとアジア人のミトコンドリアとY染色体のDNAを比較し系統樹を復元したところ、アボリジニーが7~5万年前頃にアフリカよりユーラシアに進出した人類の子孫であり(ミトコンドリアDNAのハプログループではM・N、Y染色体のハプログループではC・F)、ニューギニアやメラネシアの人類集団と遺伝的に近く、更新世の東南アジアのエレクトスとの混血の痕跡は認められなかった、とする研究が発表され、ナショナルジオグラフィックやニューヨークタイムズなどで報道されました。これは多地域進化説への痛打となり、現生人類のアフリカ単一起源説を強く支持するものだとされています。
また、アボリジニーやニューギニアやメラネシアの先住民の遺伝的系統はかなり孤立していて、移住は5万年前頃の一度だけだと推測され、完新世にアジアからオーストラリアに人類が移住して混血したとする説に疑問が呈されています。論文の執筆者の一人であるキジヴィルド博士は、ディンゴは交易でもたらされたのではないか、と示唆しています。
これまでに遺伝子解析の対象となった現代人はかなりの数となりますが、それでも割合は現代人のごく一部にすぎません。しかし、これいじょういくら現代人のミトコンドリアとY染色体のDNAを分析したところで、現代人の起源はアフリカにあり、現生人類とエレクトスやネアンデルタール人のような絶滅ホモ属との混血はなかった、とする見解を否定するような結果は得られないでしょう。
その意味で、今回の研究も意外ではなかったのですが、ミトコンドリアとY染色体のDNAの系統は失われやすく、混血があってもミトコンドリアとY染色体のDNAには残らない場合もあり得るということは、このブログでもたびたび述べてきました。ゆえに、完新世にアジアからオーストラリアに人類集団が移住してきたのに、ミトコンドリアとY染色体のDNAにはその痕跡がなさそうだ、という分析結果になることもあり得ます。移住してきた集団が先住民にたいして数的に劣勢だと、そうなりやすいと言えるでしょう。
リチャード=クライン博士も同様の疑問を呈しています。またクライン博士は、論文の執筆者の一人であるフォスター博士による、アボリジニーやニューギニアの先住民は、出アフリカを果たした初期現生人類の外見を推定する手がかりになるのではないか、との発言にも疑問を呈しています。後期石器時代・上部旧石器時代の開始は、5万年前頃の現生人類におきた遺伝的突然変異によるものだ、とするクライン博士の見解に同意することはあまりないのですが(笑)、この疑問はもっともだと思います。
文化や形質の変容は、外来集団の移住なしでもあり得ることですが、今回の研究は、外来集団との混血を否定する根拠として万全なものとは言いがたいように思われます。本当に混血の有無を検証しようとすれば、核DNAの分析が必要となるでしょうが、系統を追跡するのが困難という欠点があります。しかし、DNA解析技術の向上により、核DNAの分析から現生人類とネアンデルタール人のような絶滅ホモ属との混血の有無を検証しようとする研究もあり、今後は核DNAの分析にも期待したいところです。ただ、現生人類とネアンデルタール人との混血の可能性はかなり高そうなのにたいして、現生人類と東南アジアのエレクトスとの混血の可能性はかなり低いかな、とも思いますが。
参考文献:
Georgi Hudjashov, Toomas Kivisild, Peter A. Underhill, Phillip Endicott, Juan J. Sanchez, Alice A. Lin, Peidong Shen, Peter Oefner, Colin Renfrew, Richard Villems, and Peter Forster.(2007): Revealing the prehistoric settlement of Australia by Y chromosome and mtDNA analysis. PNAS, 104, 21, 8726-8730.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0702928104
しかし、現代のアボリジニーとアジア人のミトコンドリアとY染色体のDNAを比較し系統樹を復元したところ、アボリジニーが7~5万年前頃にアフリカよりユーラシアに進出した人類の子孫であり(ミトコンドリアDNAのハプログループではM・N、Y染色体のハプログループではC・F)、ニューギニアやメラネシアの人類集団と遺伝的に近く、更新世の東南アジアのエレクトスとの混血の痕跡は認められなかった、とする研究が発表され、ナショナルジオグラフィックやニューヨークタイムズなどで報道されました。これは多地域進化説への痛打となり、現生人類のアフリカ単一起源説を強く支持するものだとされています。
また、アボリジニーやニューギニアやメラネシアの先住民の遺伝的系統はかなり孤立していて、移住は5万年前頃の一度だけだと推測され、完新世にアジアからオーストラリアに人類が移住して混血したとする説に疑問が呈されています。論文の執筆者の一人であるキジヴィルド博士は、ディンゴは交易でもたらされたのではないか、と示唆しています。
これまでに遺伝子解析の対象となった現代人はかなりの数となりますが、それでも割合は現代人のごく一部にすぎません。しかし、これいじょういくら現代人のミトコンドリアとY染色体のDNAを分析したところで、現代人の起源はアフリカにあり、現生人類とエレクトスやネアンデルタール人のような絶滅ホモ属との混血はなかった、とする見解を否定するような結果は得られないでしょう。
その意味で、今回の研究も意外ではなかったのですが、ミトコンドリアとY染色体のDNAの系統は失われやすく、混血があってもミトコンドリアとY染色体のDNAには残らない場合もあり得るということは、このブログでもたびたび述べてきました。ゆえに、完新世にアジアからオーストラリアに人類集団が移住してきたのに、ミトコンドリアとY染色体のDNAにはその痕跡がなさそうだ、という分析結果になることもあり得ます。移住してきた集団が先住民にたいして数的に劣勢だと、そうなりやすいと言えるでしょう。
リチャード=クライン博士も同様の疑問を呈しています。またクライン博士は、論文の執筆者の一人であるフォスター博士による、アボリジニーやニューギニアの先住民は、出アフリカを果たした初期現生人類の外見を推定する手がかりになるのではないか、との発言にも疑問を呈しています。後期石器時代・上部旧石器時代の開始は、5万年前頃の現生人類におきた遺伝的突然変異によるものだ、とするクライン博士の見解に同意することはあまりないのですが(笑)、この疑問はもっともだと思います。
文化や形質の変容は、外来集団の移住なしでもあり得ることですが、今回の研究は、外来集団との混血を否定する根拠として万全なものとは言いがたいように思われます。本当に混血の有無を検証しようとすれば、核DNAの分析が必要となるでしょうが、系統を追跡するのが困難という欠点があります。しかし、DNA解析技術の向上により、核DNAの分析から現生人類とネアンデルタール人のような絶滅ホモ属との混血の有無を検証しようとする研究もあり、今後は核DNAの分析にも期待したいところです。ただ、現生人類とネアンデルタール人との混血の可能性はかなり高そうなのにたいして、現生人類と東南アジアのエレクトスとの混血の可能性はかなり低いかな、とも思いますが。
参考文献:
Georgi Hudjashov, Toomas Kivisild, Peter A. Underhill, Phillip Endicott, Juan J. Sanchez, Alice A. Lin, Peidong Shen, Peter Oefner, Colin Renfrew, Richard Villems, and Peter Forster.(2007): Revealing the prehistoric settlement of Australia by Y chromosome and mtDNA analysis. PNAS, 104, 21, 8726-8730.
http://dx.doi.org/10.1073/pnas.0702928104
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