エリツィン前ロシア大統領死去
昨日、エリツィン前ロシア大統領が76歳で亡くなりました。大統領在職時の後期より、いつ亡くなってもおかしくないな、という感じではありましたが・・・。ご冥福をお祈りいたします。ゴルバチョフ政権下で改革派として頭角を現しましたが、私がエリツィン前大統領の存在を知ったのは、保守派の圧力によりモスクワ市の党第一書記を解任された頃だったと記憶しています。
その後、ソ連共産党を離党し、ロシア共和国の大統領に就任した後、1991年8月の保守派によるクーデターのさいには、戦車の上で民衆に抵抗を呼びかけましたが、今にして思うと、エリツィン前大統領の名声が頂点に達したのはこのときだったと思われます。そういえばこのクーデターのときは、一般紙の見出しが「ソ連で大統領交代」、一般スポーツ紙の見出しが「ゴルバチョフ失脚」だったのにたいして、東スポの見出しは「ゴルバチョフ処刑」となっていて、その後に小さく「か?」とつけられていたと記憶しています。
ソ連崩壊後はロシア連邦の大統領に就任しましたが、エリツィン政権下のロシアは停滞と不正という印象が強く、エリツィン前大統領個人も、過度の飲酒のためか、健康状態が悪かったこともあって、指導力を発揮できたとは言いがたく、多くのロシア人にとって、印象はあまりよくないように思われます。ただ、後任にプーチン現大統領を指名したのは、大きな功績だと言えるでしょう。もっとも、プーチン政権下で弾圧されている人々にとっては許しがたい指導者でしょうし、日本にとっても、近隣の大国にこのような優秀な指導者がいるのは、ある意味ではたいへんな脅威でもありますが・・・。
その後、ソ連共産党を離党し、ロシア共和国の大統領に就任した後、1991年8月の保守派によるクーデターのさいには、戦車の上で民衆に抵抗を呼びかけましたが、今にして思うと、エリツィン前大統領の名声が頂点に達したのはこのときだったと思われます。そういえばこのクーデターのときは、一般紙の見出しが「ソ連で大統領交代」、一般スポーツ紙の見出しが「ゴルバチョフ失脚」だったのにたいして、東スポの見出しは「ゴルバチョフ処刑」となっていて、その後に小さく「か?」とつけられていたと記憶しています。
ソ連崩壊後はロシア連邦の大統領に就任しましたが、エリツィン政権下のロシアは停滞と不正という印象が強く、エリツィン前大統領個人も、過度の飲酒のためか、健康状態が悪かったこともあって、指導力を発揮できたとは言いがたく、多くのロシア人にとって、印象はあまりよくないように思われます。ただ、後任にプーチン現大統領を指名したのは、大きな功績だと言えるでしょう。もっとも、プーチン政権下で弾圧されている人々にとっては許しがたい指導者でしょうし、日本にとっても、近隣の大国にこのような優秀な指導者がいるのは、ある意味ではたいへんな脅威でもありますが・・・。
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