日本とチベットの近縁性?
先日このブログで述べた、篠田謙一『日本人になった祖先たち』では、
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_9.html
Y染色体DNAの分析にも1章割かれていると紹介しましたが、そこにはY染色体のハプログループについて興味深いデータが掲載されています。とはいっても、このデータは日本人の起源論に関心のある人にとってはよく知られたものなので、目新しさはありません。
そのデータは、Y染色体のハプログループDについてのものなのですが、現代日本人男性の3~4割はこれを持っています。しかし、ミトコンドリアDNAのハプログループ頻度で日本と近い韓国や北京の男性は、これをほとんど持っていません。しかしチベット(定義が厄介なのですが・・・)の男性の3割は、このY染色体のハプログループDを持っています。
このことから、日本とチベットとの密接な関係を論じる人がいますが、『日本人になった祖先たち』で述べられているように、元々ハプログループDが広く分布していた東アジアにおいて、中国や朝鮮では後になってハプログループOの系統が勢力を拡張したのにたいし、日本とチベットではその影響を受けなかった、と考えるのがよさそうです。つまり、チベットでは山が、日本では海が障壁になったのではないか、というわけです。
ブリテン島やアメリカ大陸の研究事例では、征服があったとされる地域において、土着系と征服系のDNAの割合について調べると、Y染色体(父系)と比較して、ミトコンドリアDNA(母系)のほうが、土着系と思われるハプログループの割合が高いという推定がなされています。おそらく、中国・朝鮮と日本とのY染色体ハプログループ頻度の違いは、有史以降も含めて、農耕開始以降の大規模な征服活動の有無に起因するところが大なのではないか、と推測されます。
ちょっと考えてみると分かりますが、男性が潜在的に残せる子孫の数は、女性のそれよりはるかに多くなります。また、支配層の男性は複数の妻を持ち、庶民と比較すると多く子孫を残しやすくなります。そうすると、母系の遺伝的構成(ミトコンドリアDNA)には大きな変化がなくても、男系の遺伝的構成(Y染色体)では大きな変化が生じることもありえます。おそらく日本では、縄文~弥生の変化も緩やかなものだったのでしょう。近年になって提示された、弥生時代の実年代の繰り上げが妥当かどうか、まだ結論は出ていませんが、縄文~弥生の変化が緩やかだとすると、実年代の繰り上げのほうに分があると言えそうです。
中国における春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国のような、とくに父系の面での大きな遺伝的変化をもたらす人類集団の移動・争乱が日本になかったのは、日本が海に囲まれているからで、やはり海の障壁としての役割は重視しなければいけないのだと思います。もっとも私は、そこから日本孤立論、さらには日本文明独自論を主張するつもりはなく、前近代においては、日本が中国も含む東アジア文明圏の一員だったと考えていますが。
こうした遺伝データを見て改めて思ったのは、チベットと朝鮮の運命の違いです。『日本人になった祖先たち』でも触れられているように、漢族は遺伝的には多様な集団なので一概には言えませんが、おそらく華北の漢族は、遺伝的にはチベット族よりも朝鮮族のほうに近いでしょう。文化的にも、中国文化の影響度はチベットよりも朝鮮のほうがずっと強かったでしょう。また政治的にも、中華文明の中心地に樹立された政権の歴史的な影響度は、少なくとも清朝の途中までは、チベットにおいてよりも朝鮮においてのほうがずっと強かったでしょう。しかし、現在チベットは中華人民共和国の一地域で、朝鮮は南北に分かれているとはいえ、独立国です。
両者の違いは、清代以降の政治状況に起因するのですが、19世紀後半には、清朝にも朝鮮の支配を強化しようという動きがありましたから、あるいは朝鮮が中国領土に組み込まれていたかもしれません。しかし、清朝は日本に破れ、朝鮮の独立を公的に認めざるを得なくなり(もっとも清朝は、一時的にせよ直接支配を強めたチベットとは異なり、朝鮮を実質的には支配できていませんでしたが)、清朝末~中華民国という混乱期においても、朝鮮を新生中国に組み入れようとの言説はなかったようです(あるいは、私の知らないところであったのかもしれませんが・・・)。
チベットの独立派からすると、歴史的に漢族と疎遠だったチベットが中国に組み込まれていることや、中国政府の抑圧的体質に不満なのでしょうし、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのになぜ自分たちが中国の支配下にあるのだ、との思いもあるのでしょうが、政治とは非情なもので、すべての人が満足のいくようにはならないものです。
一方中国の漢族のなかには、中華民国も中華人民共和国も基本的には清朝を継承しているのに、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのは納得がいかない、と考えている人も少なからずいるでしょうが(そうした漢族の人々は、チベットについてはとうぜん中国領と考えています)、ソ連という後ろ盾のあるモンゴル人民共和国を不本意ながらも承認してしまった経緯があるので、現在ではこの問題について公的に不満を表明する人はいないようです。
https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_9.html
Y染色体DNAの分析にも1章割かれていると紹介しましたが、そこにはY染色体のハプログループについて興味深いデータが掲載されています。とはいっても、このデータは日本人の起源論に関心のある人にとってはよく知られたものなので、目新しさはありません。
そのデータは、Y染色体のハプログループDについてのものなのですが、現代日本人男性の3~4割はこれを持っています。しかし、ミトコンドリアDNAのハプログループ頻度で日本と近い韓国や北京の男性は、これをほとんど持っていません。しかしチベット(定義が厄介なのですが・・・)の男性の3割は、このY染色体のハプログループDを持っています。
このことから、日本とチベットとの密接な関係を論じる人がいますが、『日本人になった祖先たち』で述べられているように、元々ハプログループDが広く分布していた東アジアにおいて、中国や朝鮮では後になってハプログループOの系統が勢力を拡張したのにたいし、日本とチベットではその影響を受けなかった、と考えるのがよさそうです。つまり、チベットでは山が、日本では海が障壁になったのではないか、というわけです。
ブリテン島やアメリカ大陸の研究事例では、征服があったとされる地域において、土着系と征服系のDNAの割合について調べると、Y染色体(父系)と比較して、ミトコンドリアDNA(母系)のほうが、土着系と思われるハプログループの割合が高いという推定がなされています。おそらく、中国・朝鮮と日本とのY染色体ハプログループ頻度の違いは、有史以降も含めて、農耕開始以降の大規模な征服活動の有無に起因するところが大なのではないか、と推測されます。
ちょっと考えてみると分かりますが、男性が潜在的に残せる子孫の数は、女性のそれよりはるかに多くなります。また、支配層の男性は複数の妻を持ち、庶民と比較すると多く子孫を残しやすくなります。そうすると、母系の遺伝的構成(ミトコンドリアDNA)には大きな変化がなくても、男系の遺伝的構成(Y染色体)では大きな変化が生じることもありえます。おそらく日本では、縄文~弥生の変化も緩やかなものだったのでしょう。近年になって提示された、弥生時代の実年代の繰り上げが妥当かどうか、まだ結論は出ていませんが、縄文~弥生の変化が緩やかだとすると、実年代の繰り上げのほうに分があると言えそうです。
中国における春秋戦国・魏晋南北朝・五代十国のような、とくに父系の面での大きな遺伝的変化をもたらす人類集団の移動・争乱が日本になかったのは、日本が海に囲まれているからで、やはり海の障壁としての役割は重視しなければいけないのだと思います。もっとも私は、そこから日本孤立論、さらには日本文明独自論を主張するつもりはなく、前近代においては、日本が中国も含む東アジア文明圏の一員だったと考えていますが。
こうした遺伝データを見て改めて思ったのは、チベットと朝鮮の運命の違いです。『日本人になった祖先たち』でも触れられているように、漢族は遺伝的には多様な集団なので一概には言えませんが、おそらく華北の漢族は、遺伝的にはチベット族よりも朝鮮族のほうに近いでしょう。文化的にも、中国文化の影響度はチベットよりも朝鮮のほうがずっと強かったでしょう。また政治的にも、中華文明の中心地に樹立された政権の歴史的な影響度は、少なくとも清朝の途中までは、チベットにおいてよりも朝鮮においてのほうがずっと強かったでしょう。しかし、現在チベットは中華人民共和国の一地域で、朝鮮は南北に分かれているとはいえ、独立国です。
両者の違いは、清代以降の政治状況に起因するのですが、19世紀後半には、清朝にも朝鮮の支配を強化しようという動きがありましたから、あるいは朝鮮が中国領土に組み込まれていたかもしれません。しかし、清朝は日本に破れ、朝鮮の独立を公的に認めざるを得なくなり(もっとも清朝は、一時的にせよ直接支配を強めたチベットとは異なり、朝鮮を実質的には支配できていませんでしたが)、清朝末~中華民国という混乱期においても、朝鮮を新生中国に組み入れようとの言説はなかったようです(あるいは、私の知らないところであったのかもしれませんが・・・)。
チベットの独立派からすると、歴史的に漢族と疎遠だったチベットが中国に組み込まれていることや、中国政府の抑圧的体質に不満なのでしょうし、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのになぜ自分たちが中国の支配下にあるのだ、との思いもあるのでしょうが、政治とは非情なもので、すべての人が満足のいくようにはならないものです。
一方中国の漢族のなかには、中華民国も中華人民共和国も基本的には清朝を継承しているのに、モンゴル(外蒙古)が独立国家なのは納得がいかない、と考えている人も少なからずいるでしょうが(そうした漢族の人々は、チベットについてはとうぜん中国領と考えています)、ソ連という後ろ盾のあるモンゴル人民共和国を不本意ながらも承認してしまった経緯があるので、現在ではこの問題について公的に不満を表明する人はいないようです。
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