新たな年代観による困惑

 先史時代の年代は定かではなく、油断していると、新しい年代観に基づいた先史時代観からすると的外れな見解を述べてしまうということも珍しくありません。現生人類(ホモ=サピエンス)の登場年代についても、私のように30代半ば以上だと、高校では4万年前頃と教わったものですが、現在では20万年前頃にさかのぼる可能性が指摘されています(やや「古代的」な現生人類となると、遅くとも16万年前頃には登場していたのが確実視されています)。

 弥生時代の開始についても、紀元前5~4世紀頃とされていたのが、近年になって紀元前10世紀までさかのぼる可能性が指摘されました。私は以前、弥生時代の開始と春秋・戦国時代の動乱とを関連づけていたのですが、現在ではこの考えを採用していません。もっとも、この新たな年代観も定説として認められたというわけではなく、今後じゅうらいの年代観にもどる可能性もありますが・・・。

 この世の多くのことは、美しい物語で説明できそうでも、よくよく検討してみるとそうはいかないものなのだと思います。人類の社会は、虚構・・・といって悪ければ約束事・物語と言い換えてもよいのですが、普段はあまり意識しないようなことも含めて、約束事・物語を前提として成り立つもので、そうした約束事・物語を突き崩すような事態を前にしても、受け止めるだけの力量を身につけておきたいものです。もっとも、これはたいへん難しいことですが・・・。

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