高句麗論争についての雑感
当ホームページからリンクさせていただいている子欲居さんのホームページのブログの記事を読んで、高句麗論争、さらには共通の歴史認識という問題についての雑感を述べていきますが、関心や歴史認識の違いから、子欲居さんの記事とは異なる方向での雑感となります。
この論争は、けっして韓国側の一部論者の独り相撲ではなく、中国と韓国との間での深刻な歴史認識の違いを反映したものといえます。発端は、中国の東北工程において高句麗と渤海とが中国史の地方政権と位置づけられたことです。高句麗も渤海も、その領域は現在の中国と北朝鮮にまたがっていて、現代の国境線を前提とした視点では厄介な存在といえます。
これにたいして韓国では官民ともに猛反発したのですが、この状況を憂慮した中韓両国の首脳により、歴史解釈は学術的な議論に任せて政治問題とはしない、との合意が2004年8月に成立しました。しかし、韓国では依然としてこの問題にたいする中国への不満が高く、中国との協調を重視し、この問題で中国への抗議を控えていた盧武鉉大統領も世論に配慮し、2006年9月に中国の温家宝首相に抗議しました。
日本では、高句麗や渤海といった1000年以上も前に滅亡した国の帰属をめぐって政治問題となることを不思議に思う人が多いでしょうが、これはたんなる歴史論争ではなく、現代の領土問題にもつながる問題でもあるので、その意味でも、中韓両国ともに簡単に主張を取り下げるわけにはいかないのだと思います。また旧ユーゴスラビアなどのように、現代の国境紛争が数百年前からの歴史的経緯を根拠としていることがしばしばある、という事情もあります。
中国の東北部には朝鮮族(高句麗や渤海とはあまり関係なさそうで、清代以降の問題のようですが・・・)がいて、中国の東北工程には、朝鮮族の多くが住む延辺朝鮮族自治州の独立運動、さらには統一朝鮮(いつ実現するのか、まったく目処は立っていませんが・・・)との統一運動を牽制しようとの意図があるのでしょう。多民族国家でチベットやウイグルなどでの独立運動という問題を抱えている中国からすると、そのような少数民族の運動は中国の体制を揺るがしかねない、ということなのでしょう。
いっぽう韓国からすると、高句麗と渤海は北朝鮮領にもまたがっていることから、将来の統一朝鮮となるべき領土への侵略を意図しているのではないか、との疑念もあるでしょう。また、高句麗と渤海が朝鮮民族の国家というのは、韓国人の間での常識となっていますので、両国は中国史の地方政権との位置づけは、韓国人にとってぜったいに許せるものではありませんし、朝鮮の歴代王朝も同様に位置づけるための準備ではないか、との疑念も生じるでしょう。
ちなみに日本では、新羅が朝鮮半島を統一したという認識が一般的で、統一新羅という呼称が定着していますが、韓国人に言わせるとこれは歴史の歪曲で、新羅の後期は渤海と並立した南北朝時代というのが韓国での常識となっています。高句麗については、日本でも朝鮮半島の三国という認識が一般的となっていますが・・・。
奇妙なことに、自国の領土が直接絡む北朝鮮が表向きは中国にほとんど抗議していませんが、この件について北朝鮮政府の上層部も韓国人と同じく不快に思っているだろうということは、金日成総合大学歴史学部の講座長が激しく批判したことが報道されていることからも明らかです。ただ、中国への依存度・従属度を強めている北朝鮮からすると、中国への抗議は控えざるを得ないということなのでしょう。
中国と北朝鮮の間には、朝鮮民族の聖地とされる白頭山(女真族の聖地でもあるのですが・・・)をめぐる領土問題もあるのですが、これも表立って問題にしているのは韓国のほうで、そのために今年(2006年)中国で行なわれた冬季アジア大会では、韓国選手団の行為が問題視され、中国が抗議したという事件がありました。
いっぽう中国では、この問題にたいしての反応があまりないようですが、中国政府としては、表向きは学術問題である高句麗・渤海論争の裏の意図が、現時点で明らかになってしまうのを警戒しているというところもあるのでしょうし、韓国への影響力を強めてはいるものの、米韓同盟が完全に崩壊したわけでもないので、韓国に配慮しているところもあるのでしょう。
中国の民間は、政府とはまた違った理由でこの問題に熱心ではないと思われます。中国では漢族が圧倒的多数を占め(とはいっても、漢族も多様性に富んだ集団ですが・・・)、民間では岳飛が今でも救国・愛国の英雄とされていて、遼・金と宋との抗争を「兄弟喧嘩」と解釈している政府の公的な歴史観と、民間の歴史観との間に温度差があるように思われます。
これは、政府がアジアという言葉を多用しながら、国民の間ではアジア人との概念の希薄であることとも関連しているように思われます。ある調査では、自分たちをアジア人と位置づけている人の割合は、ベトナムでは84%、韓国では71%、日本では42%なのにたいし、中国ではわずか6%にすぎません。東アジア共同体を強く主張している人は、まずこの現実を受け止める必要があるでしょう。
余談ですが、日本のマスコミはアジアという言葉を安易に使用する傾向があり、これは悪い癖だと思います。小泉政権はアジア外交に失敗した、との批判がよくマスコミでなされ、確かに中韓との外交が上手くいったとは言えないでしょうが、モンゴルもベトナムもインドネシアもフィリピンもインドもアジアなのであり、こうした国々との関係が悪化したということはなさそうですから、中韓との関係が悪化した、と素直に言えばよいだけのことです。中韓との関係が悪化については、私はマスコミでの一般的な解説とは異なる、より根本的な理由を考えていますが、そのことはまた機会があればこのブログで述べるつもりです。
まあそれはともかくとして、多数の中国人(ここでは、中華人民共和国の国籍を有している人々という意味合いで、そのほとんどは漢族です)にとって、高句麗や渤海は漢族の歴史ではなく、したがって自分たちの歴史でもないということなのでしょう。故に、高句麗・渤海論争にはあまり熱心ではないのだと思います。しかし韓国では、高句麗・渤海は疑いもなく韓民族(朝鮮民族)の歴史だと考えられているのですから、今後もこの問題について中国への批判は続くでしょう。
長期的にみれば、韓国は米国に替わって中国への従属度を強めていくでしょうが、良くも悪くも近代民族主義の影響を強く受けてしまった韓国では、中国の影響力が強化されるのを不快に思う人が多いでしょうから、三田渡碑への落書きのような事件が増えることでしょう。おそらく、高句麗・渤海論争にとどまらず、今後中国と韓国の間で歴史認識をめぐる摩擦が増え、激化するものと思われます。
脱近代社会に突入したともいえる日本では、近現代の国家・民族の枠組みから自由になって歴史研究を進めようとする動きが盛んであり、それは、一定の市民権を得ていると言えるでしょうから(もちろん、そうした動きを批判する人もいますが)、高句麗と渤海が朝鮮史なのか中国史なのかという議論の枠組み自体に懐疑的な人が一定水準以上いるでしょう。
しかし中国や韓国では、研究者にそうした発想があっても、なかなか社会的な支持を得るのは難しいように思われます。こうした状況において、日本・中国・韓国の間で共通の歴史認識を持とうとしても、それぞれの国民が納得するような結論になるわけがありません。共同して歴史研究を進めることはけっこうですが、共通の歴史認識を持とうという構想は現時点では無謀と言うべきでしょう。もし共通の歴史認識が成立するとしたら、ひじょうに限定された事柄においてのみだと思います。
この論争は、けっして韓国側の一部論者の独り相撲ではなく、中国と韓国との間での深刻な歴史認識の違いを反映したものといえます。発端は、中国の東北工程において高句麗と渤海とが中国史の地方政権と位置づけられたことです。高句麗も渤海も、その領域は現在の中国と北朝鮮にまたがっていて、現代の国境線を前提とした視点では厄介な存在といえます。
これにたいして韓国では官民ともに猛反発したのですが、この状況を憂慮した中韓両国の首脳により、歴史解釈は学術的な議論に任せて政治問題とはしない、との合意が2004年8月に成立しました。しかし、韓国では依然としてこの問題にたいする中国への不満が高く、中国との協調を重視し、この問題で中国への抗議を控えていた盧武鉉大統領も世論に配慮し、2006年9月に中国の温家宝首相に抗議しました。
日本では、高句麗や渤海といった1000年以上も前に滅亡した国の帰属をめぐって政治問題となることを不思議に思う人が多いでしょうが、これはたんなる歴史論争ではなく、現代の領土問題にもつながる問題でもあるので、その意味でも、中韓両国ともに簡単に主張を取り下げるわけにはいかないのだと思います。また旧ユーゴスラビアなどのように、現代の国境紛争が数百年前からの歴史的経緯を根拠としていることがしばしばある、という事情もあります。
中国の東北部には朝鮮族(高句麗や渤海とはあまり関係なさそうで、清代以降の問題のようですが・・・)がいて、中国の東北工程には、朝鮮族の多くが住む延辺朝鮮族自治州の独立運動、さらには統一朝鮮(いつ実現するのか、まったく目処は立っていませんが・・・)との統一運動を牽制しようとの意図があるのでしょう。多民族国家でチベットやウイグルなどでの独立運動という問題を抱えている中国からすると、そのような少数民族の運動は中国の体制を揺るがしかねない、ということなのでしょう。
いっぽう韓国からすると、高句麗と渤海は北朝鮮領にもまたがっていることから、将来の統一朝鮮となるべき領土への侵略を意図しているのではないか、との疑念もあるでしょう。また、高句麗と渤海が朝鮮民族の国家というのは、韓国人の間での常識となっていますので、両国は中国史の地方政権との位置づけは、韓国人にとってぜったいに許せるものではありませんし、朝鮮の歴代王朝も同様に位置づけるための準備ではないか、との疑念も生じるでしょう。
ちなみに日本では、新羅が朝鮮半島を統一したという認識が一般的で、統一新羅という呼称が定着していますが、韓国人に言わせるとこれは歴史の歪曲で、新羅の後期は渤海と並立した南北朝時代というのが韓国での常識となっています。高句麗については、日本でも朝鮮半島の三国という認識が一般的となっていますが・・・。
奇妙なことに、自国の領土が直接絡む北朝鮮が表向きは中国にほとんど抗議していませんが、この件について北朝鮮政府の上層部も韓国人と同じく不快に思っているだろうということは、金日成総合大学歴史学部の講座長が激しく批判したことが報道されていることからも明らかです。ただ、中国への依存度・従属度を強めている北朝鮮からすると、中国への抗議は控えざるを得ないということなのでしょう。
中国と北朝鮮の間には、朝鮮民族の聖地とされる白頭山(女真族の聖地でもあるのですが・・・)をめぐる領土問題もあるのですが、これも表立って問題にしているのは韓国のほうで、そのために今年(2006年)中国で行なわれた冬季アジア大会では、韓国選手団の行為が問題視され、中国が抗議したという事件がありました。
いっぽう中国では、この問題にたいしての反応があまりないようですが、中国政府としては、表向きは学術問題である高句麗・渤海論争の裏の意図が、現時点で明らかになってしまうのを警戒しているというところもあるのでしょうし、韓国への影響力を強めてはいるものの、米韓同盟が完全に崩壊したわけでもないので、韓国に配慮しているところもあるのでしょう。
中国の民間は、政府とはまた違った理由でこの問題に熱心ではないと思われます。中国では漢族が圧倒的多数を占め(とはいっても、漢族も多様性に富んだ集団ですが・・・)、民間では岳飛が今でも救国・愛国の英雄とされていて、遼・金と宋との抗争を「兄弟喧嘩」と解釈している政府の公的な歴史観と、民間の歴史観との間に温度差があるように思われます。
これは、政府がアジアという言葉を多用しながら、国民の間ではアジア人との概念の希薄であることとも関連しているように思われます。ある調査では、自分たちをアジア人と位置づけている人の割合は、ベトナムでは84%、韓国では71%、日本では42%なのにたいし、中国ではわずか6%にすぎません。東アジア共同体を強く主張している人は、まずこの現実を受け止める必要があるでしょう。
余談ですが、日本のマスコミはアジアという言葉を安易に使用する傾向があり、これは悪い癖だと思います。小泉政権はアジア外交に失敗した、との批判がよくマスコミでなされ、確かに中韓との外交が上手くいったとは言えないでしょうが、モンゴルもベトナムもインドネシアもフィリピンもインドもアジアなのであり、こうした国々との関係が悪化したということはなさそうですから、中韓との関係が悪化した、と素直に言えばよいだけのことです。中韓との関係が悪化については、私はマスコミでの一般的な解説とは異なる、より根本的な理由を考えていますが、そのことはまた機会があればこのブログで述べるつもりです。
まあそれはともかくとして、多数の中国人(ここでは、中華人民共和国の国籍を有している人々という意味合いで、そのほとんどは漢族です)にとって、高句麗や渤海は漢族の歴史ではなく、したがって自分たちの歴史でもないということなのでしょう。故に、高句麗・渤海論争にはあまり熱心ではないのだと思います。しかし韓国では、高句麗・渤海は疑いもなく韓民族(朝鮮民族)の歴史だと考えられているのですから、今後もこの問題について中国への批判は続くでしょう。
長期的にみれば、韓国は米国に替わって中国への従属度を強めていくでしょうが、良くも悪くも近代民族主義の影響を強く受けてしまった韓国では、中国の影響力が強化されるのを不快に思う人が多いでしょうから、三田渡碑への落書きのような事件が増えることでしょう。おそらく、高句麗・渤海論争にとどまらず、今後中国と韓国の間で歴史認識をめぐる摩擦が増え、激化するものと思われます。
脱近代社会に突入したともいえる日本では、近現代の国家・民族の枠組みから自由になって歴史研究を進めようとする動きが盛んであり、それは、一定の市民権を得ていると言えるでしょうから(もちろん、そうした動きを批判する人もいますが)、高句麗と渤海が朝鮮史なのか中国史なのかという議論の枠組み自体に懐疑的な人が一定水準以上いるでしょう。
しかし中国や韓国では、研究者にそうした発想があっても、なかなか社会的な支持を得るのは難しいように思われます。こうした状況において、日本・中国・韓国の間で共通の歴史認識を持とうとしても、それぞれの国民が納得するような結論になるわけがありません。共同して歴史研究を進めることはけっこうですが、共通の歴史認識を持とうという構想は現時点では無謀と言うべきでしょう。もし共通の歴史認識が成立するとしたら、ひじょうに限定された事柄においてのみだと思います。
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