シャテルペロン文化についての論争
2005年に“nature”誌に掲載されたポール=メラーズ教授らの論文は、ネアンデルタール人の所産とされるシャテルペロン文化の遺跡である妖精洞窟のB-4層に、現生人類の文化とされるオーリニャック文化がごく短期間挟まっている、というものでした。
これにたいして、昨年『全米科学アカデミー紀要』に掲載されたジョアン=ジルハオン教授らの論文では、シャテルペロン文化層のB4~5層にあったオーリニャック文化のものと推測されてきた遺物は、ほとんどがシャテルペロン文化の素材によるもので、いくつかのオーリニャック文化の遺物は、それぞれ個別に後世のものが嵌入したものだということが判明したとされ、このブログでも取り上げました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200608article_29.html
このジルハオン教授らの論文にたいするメラーズ教授らの反論となる論文が、最近になって『全米科学アカデミー紀要』に掲載され、
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0608053104v1
層位学・考古学・放射性炭素年代の証拠から、シャテルペロン文化の遺跡におけるネアンデルタール人と現生人類との共存と相互作用が改めて指摘されています。
シャテルペロン文化の位置づけは、ネアンデルタール人と現生人類との関係、さらにはネアンデルタール人の認知能力を評価するうえで重要となってくるので、ジルハオン教授の再反論も含めて、今後の研究に期待したいところです。ただ、試料汚染の問題もあるので、重要な判断材料となる年代測定については、なかなか確定しがたいところがありますが。
これにたいして、昨年『全米科学アカデミー紀要』に掲載されたジョアン=ジルハオン教授らの論文では、シャテルペロン文化層のB4~5層にあったオーリニャック文化のものと推測されてきた遺物は、ほとんどがシャテルペロン文化の素材によるもので、いくつかのオーリニャック文化の遺物は、それぞれ個別に後世のものが嵌入したものだということが判明したとされ、このブログでも取り上げました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200608article_29.html
このジルハオン教授らの論文にたいするメラーズ教授らの反論となる論文が、最近になって『全米科学アカデミー紀要』に掲載され、
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0608053104v1
層位学・考古学・放射性炭素年代の証拠から、シャテルペロン文化の遺跡におけるネアンデルタール人と現生人類との共存と相互作用が改めて指摘されています。
シャテルペロン文化の位置づけは、ネアンデルタール人と現生人類との関係、さらにはネアンデルタール人の認知能力を評価するうえで重要となってくるので、ジルハオン教授の再反論も含めて、今後の研究に期待したいところです。ただ、試料汚染の問題もあるので、重要な判断材料となる年代測定については、なかなか確定しがたいところがありますが。
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