現生人類の欧州への移住時期と経路、ユーラシアの現生人類の起源

 現生人類の欧州への移住時期は45000年前頃になり、その移住経路はこれまでに考えられていたものとは異なる可能性がある、との論文が発表され、報道されました。

 ロシア南部ドン川沿いにある(上記BBCのサイトではモスクワの南とありますが、地図を見ると、ボロネシとハリコフの間にあるといった感じです)コステンキ遺跡の上部旧石器文化層の年代は、放射性炭素測定・光刺激ルミネセンス線量計・磁気層位学から、45000~42000年前になる、とのことです。
 なお、論文の概要に「おそらく現生人類のもの」との注釈があるように、欧州の初期上部旧石器文化の担い手がどの人類種であったかは確定していませんが、論文の概要で指摘されているように、たぶん現生人類が担い手だったと思われます。
 このコステンキ遺跡の最古の層は、4万年前頃のものとされる火山灰層の下にあり、彫刻も含む骨や象牙の人工遺物が出土しています。また、出土した貝の化石は、500km離れたところのものでした。おそらく現生人類の北部ユーラシアへの進出は、東欧の中央平原が最初だったのだろう、と論文では推測されています。

 つまり、これまで欧州への現生人類の進出は、ブルガリアやギリシアといった中欧南部から始まったと考えられていたけど、西アジアからコーカサスを経由した集団か、中央アジアから西に向かった集団がもっとも早かったのではないか、というわけです。
 しかしここは、寒冷で乾燥した地域であり、そのような必ずしも環境のよくない地域に現生人類が早期に進出したのは、環境がよくないゆえにネアンデルタール人がいなかったためではないか、と論文の執筆者の一人のジョン=ホフェッカー氏は推測しています。

 ただ、このブログでも何度か述べてきましたが、現在欧州の旧石器時代の年代は、新放射性炭素測定法により、これまでの年代よりもさかのぼる可能性が指摘されていますので、現生人類の欧州での最初の移住地が東欧の中央平原で決まりとは言えないように思われます。おそらく現生人類は、コーカサスや小アジアなど、複数の経路で欧州に進出したのでしょう。

 もう一つの話題は、欧州の上部旧石器時代の現生人類は、サハラ砂漠以南のアフリカに起源がある、という論文です。この研究についての報道もありました(追記:2007年1月19日)。後期更新世のアフリカの人骨は少なく(そもそも、更新世のアフリカの人骨には、年代の明確なものが少ないという事情があります)、人類進化の研究の障害となっています。
 南アフリカのホーフマイヤー(場所は赤字のリンク先を参照してください)で出土した人骨は、光刺激ルミネセンス線量計とウラン系列年代測定により、39500~32900年前頃のものと測定されました。この人骨は、形態的には完全な現生人類でしたが、いくつか原始的特徴もあり、現代の南アフリカ近辺の先住民集団よりも、上部旧石器時代のユーラシアの現生人類のほうにずっとよく似ていました。このことから、上部旧石器時代のユーラシアの現生人類は、後期更新世のサハラ砂漠以南のアフリカより移住してきたとする仮説と一致する、と論文では報告されています。

 通説を支持する研究ですが、4万年前にはすでにユーラシアに現生人類がいましたので、通説の補強という意味では、衝撃は強くなかったように思います。10~7万年前頃の人骨であれば、かなり注目を集めたとは思いますが・・・。

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