『イリヤッド』110話「リンゴが一つ」(『ビッグコミックオリジナル』12/20号)

 最新号が発売されたので、さっそく購入しました。今回は、先月30日の12巻発売にあわせて、久々の巻頭カラーです。前号では、
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ユリの父と「山の老人」との関係が示唆され、その真相がどこまで明らかにされるのか、巻頭カラーだということもあってたいへん期待していたのですが・・・。

 さて今回の話は、4年前、アムステルダムの運河を航行している船の中で、デル=ポスト教授とユリの父であるヴィルヘルム=エンドレが会話をしている場面から始まります。
 「アトランティスはそれを創造した者自らが破壊した」というアリストテレスの発言をどう解釈するか?とデル=ポスト教授に問われたヴィルヘルム=エンドレは、アトランティス伝説がプラトンの作り話だと主張する人たちが、プラトンの一番弟子がわざわざ否定したのだからという理由で、架空説の根拠の一つに挙げる言葉だが、アリストテレスは後年プラトンと仲たがいし、師の話をことごとく否定していたという事実をみんな忘れている、と答えます。
 ヴィルヘルム=エンドレはさらに続けて、大陸級の島が沈むなんて非科学的だ、とアリストテレスが考えていたという解釈も間違っていて、アリストテレスも、地中には小人族がいて、収穫期になると手釜をもって現れるという話を見てきたかのように教え子に語る男だ、と言います。これを聞いたデル=ポスト教授は、非科学的なのは師弟ともに大差ないということか、と言って嘆息します。

 幻のパウル=シュリーマンの日記を入手したのに、アトランティスマニアの金持ちたちに気前よく情報を与えて、協力を要請する気なのか?とデル=ポスト教授が尋ねると、発掘には大金がかかり、金持ちを味方につけて損はない、とヴィルヘルム=エンドレは答えます。
 ヴィルヘルム=エンドレは、協力を要請するつもりの人物をデル=ポスト教授に紹介します。アイルランドの実業家のワードは、ハインリッヒ=シュリーマンと同じく、地中海文明がアトランティスと関係があると考えて調査を続けています。イギリスのアリンガム卿は、ヴィルヘルム=エンドレと同じく、パウルはドゥヴロブニクで『東方見聞録』の祖本を探していたと考えています。中国のウー(呉文明)は、始皇帝の墓にアトランティスの鍵があると考えています。

 パートナーに指名した6人の叡智を結集してこそ、人類最大の夢も夢ではなくなる、とヴィルヘルム=エンドレは力説します。私が推薦したゼプコ氏は、中南米か大西洋にアトランティスがあったという19世紀のドネリーと同じ突拍子もない説を信じているようだが、どうだろう?とデル=ポスト教授は尋ねます。
 ヴィルヘルム=エンドレは、パウルの担当記者の息子のゼプコは何か重要なことを知っている可能性もあるが、財政状態は最悪で、しかも胡散臭いと評判の人物なので、パートナーとしては信頼できない、と答えます。ゼプコ老人も散々な言われようですが(笑)、軽率なところがありますし、入矢・ウーと始皇帝陵に侵入したさいには、約束に反して財宝に手をつけようとしたくらいですから、以前からそんな感じの人だったのでしょう(笑)。

 じっさいには誰がアトランティスを探索するのだ?とデル=ポスト教授に尋ねられたヴィルヘルム=エンドレは、入矢修造を挙げ、世界一優秀なトレジャーハンターだと言います。両者の会話の時期は、その内容からして、ヴィルヘルム=エンドレが召集したアトランティス会議の直前だったと思われます。
 ヴィルヘルム=エンドレがデル=ポスト教授に紹介した人物のうち、アリンガム卿は、アトランティス会議の後、ドゥヴロブニクで変死しましたが、これはグレコ神父の仕業のようです。ワードはウーを入矢に紹介し、現在は妻の看病のためアトランティス探索からは身をひいていますが、妻の回復後は、妻とともにアトランティス探索に再び乗り出す予定です。ウーは入矢・ゼプコ老人とともに始皇帝陵に侵入し、その経緯は101~106話にて描かれ、このブログでも取り上げました。
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 場面は変わって、現在の入矢堂です。千駄木のベーカリーパルのメロンパンを食べている入矢はふとゼプコ老人のことを思い出し、どこにいるのか、と母の淑子に尋ねると、ゼプコ老人は急用ができたといって今朝早く出て行った、と淑子は答えます。よく金があったなあ、と言う入矢にたいして、旅費は貸したからね、と淑子が答えます。あいつが返すと思うのか?と言う入矢にたいして、「だ、だってあんたに了解してもらってるっていってたわよ」と淑子は答えます。これを聞いた入矢は、あの詐欺爺、と呻きます。

 場面は変わって、ウィーンのとあるビアホールです。エンドレ財団の理事長であるティボール=コバチがリンゴ酒を注文します。店の主人が「相変わらずお忙しいですね、もう9時だ」と言うと、昔企業にいて買収するかされるかといっていた頃と比較すると楽だ、とコバチは言いますが、以前より楽とはいえやはり大変なようで、発掘の助成金が足りないと泣きつかれたとか、コルシカ島の古墳で落盤事故があったとか、主人に愚痴をこぼします。
 まだ大変ではありませんか、と言う主人にたいし、バチコはハンガリー語で「ナジョンフィノムヴォルトゥ(美味い)」と言い、昔自家製リンゴ酒に挑戦したが大失敗だった、と主人に話してビアホールを出ますが、この様子を、デメルが監視しています。

 場面は変わって、ある部屋(エンドレ財団の一室と思われます)にユリ・デメル・プリツェル・バトラー神父の4人が集まり、協議しています。デメルがコバチについての調査を説明し、それによると、1956年、ハンガリー動乱のさいにヴィルヘルム=エンドレとともに脱出し、以後ヴィルヘルム=エンドレを公私ともに支えてきた人物で、中国風にいえば刎頚の友です。コバチには25歳になる娘がいて、妻とは5年前に離婚しています。
 デメルは、ワンツ&ワンツ社の総力をあげて24時間体制でコバチを監視しているが、今のところ変わった動きはなく、午前8時に出勤し、12時半にカフェで食事をとり、午後9時まで働いて退社し、決まったビアホールとでリンゴ酒を2杯飲んで帰宅し、夕食は自宅でとる、と報告します。

 生真面目な働き者か、と言うバトラー神父にたいして、「というより、面白みのない人物だね」とプリツェルが言います。ユリは、コバチは父が一番信頼した人で、裏切り者だの「山の老人」だのということは信じられない、と言います。しかしデメルは、助成金の最終承認者は理事長であるコバチだから、彼以外裏切り者はありえない、と言います。プリツェルも、助成金起票者はユリの父の本名だから、親友がその名を見過ごすことはありえない、とデメルに同意します。
 理事の一人の名を使えばバレないのに、なぜだろうと言うバトラー神父にたいして、我々を馬鹿にしているのだ、とデメルは言います。動機は金か女か?と問うプリツェルにたいして、何も出てこないとデメルは答え、だから彼を監視すること以外は何もできないのだ、と言います。
 報告によれば、財団の金を動かせるのはコバチとユリを含めた理事4人と顧問の6名とあるが、顧問の6人とは誰なのか?とバトラー神父が問うと、4年前に父がアトランティス探索の協力を依頼した実業家6人のことだ、とユリが答え、3人は調査済で3人は死んでいる、とプリツェルが付け加えると、バトラー神父は納得します。

 場面は変わって、ウィーンのカフェでコバチとその娘が会っています。「母さんは元気かい?」と問うコバチにたいして、娘は「再婚するかも・・・・・・」と答え、コバチは「そうか・・・・・・」と言います。きちんと食事をしているか?と娘がコバチに尋ねると、健康的なもので、朝は果物、昼は有機野菜とライ麦パンのサンド、とコバチは答えますが、娘は、「それでそんなに太る?また陰でこっそり、スナック菓子食べてるでしょ?」と詰問し、コバチは答えられません。
 娘は、「隠れて悪いことするの、父さん好きだったじゃない?いたずらっ子みたいに」と言い、睡眠はどうだ?と尋ねると、昔と違ってよく寝ている、とコバチは答えます。娘は、自分が子供の頃は父が多忙で、母はいつも心配しており、ヴィルヘルム=エンドレに電話し、亭主を殺す気かと言おうとしていた、とコバチに語ります。
 コバチは、けっきょく妻のことより親友の仕事をとって、妻とは別れたが、ヴィルヘルム=エンドレも気づいていたようで、その遺言書には、コバチにビジネスから引退して非営利団体の理事長になるようにと書かれてあった、と言います。「エンドレさんに感謝ね」と言う娘にたいして、「ああ・・・・・・感謝してるよ」とコバチは言います。もっとも、誘拐されて殺害されたヴィルヘルム=エンドレには遺言書を書く時間がなかったと思われるので、社長を退くときの話でしょうか?それとも、殺されることも覚悟していたので、誘拐される前に遺言書を用意していたのでしょうか?

 それはともかくとして、場面は変わって例のビアホールでコバチと主人が会話をしています。今日も遅くまでお疲れ様です、と言う主人にたいして、忙しいといっても昔に比べれば大したことない、と言うコバチですが、続けて、自分は無趣味なので、本当はずっと忙しいままいたくて、引退なんて考えたこともないというか、考えたくもなかった、と告白します。
 自分は食べていけるならいつでも店をたたみますよ、と言う主人にたいして、「ま、私は会社経営には向かなかったみたいだから・・・・・・以前親友にいわれた。私を散々こき使った挙句にね」とコバチは言います。友人を少し怨んでいるのか?と尋ねる主人にたいし、「どうかな・・・・・・」と答えたコバチは、昔リンゴ酒を造ろうとして乾燥した場所に収穫したリンゴを置いておいたが、たった1個のリンゴが腐ってしまったため、全部だめになった、と言います。さらにコバチは続けて、「ほんのちょっとの怨みつらみが・・・・・・心全部を腐らせる」と告白します。

 ビアホールを出たコバチは、家とは違う方向に歩き始めます。それを車内から監視していたデメルの報告を受けて、プリツェルとバトラー神父がコバチを尾行します。コバチはカフェに入り、新聞を読んでいる人の隣に座り、その人物の方を見ます。どうやら、コバチはその人物と待ち合わせをしていたようです。
 すると、新聞を読んでいた人物は新聞をやや下げて、顔が明らかになります。なんと、新聞を読んでいたのはゼプコ老人で、それを見たバトラー神父が驚くところで今回は終了です。

 今回は、歴史ミステリーの部分ではほとんど進まず、サスペンス的要素の濃い内容となりました。ティボール=コバチというエンドレ財団理事長が新たに登場し、どうやらこの人が内通者のようですから、エンドレ財団でもかなりの高位にある者が内通者という予想通りだったといえるでしょう。
 その動機もほぼ説明されていて、散々酷使されたあげく、希望などしていないのに経営から退けられたことを怨みに思ったからということなのでしょうが、もちろんヴィルヘルム=エンドレは、友人であるコバチのことを思ってそのように遺言書に記したのであり、コバチもそのことは理解しているわけです。
 ただそれでも、わずかな怨みつらみが心を腐らせるという人間心理の機微を、コバチの自家製リンゴ酒造りの失敗というエピソードを用意し、「リンゴが一つ」という表題にて表現したあたりは、やはり上手いものだと感心させられます。おそらくこの後は、ユリかバトラー神父かコバチの元妻あたりがコバチを改心させるというヒューマンストーリーになるのではないでしょうか。
 また、コバチが助成金の承認者の名前にヴィルヘルム=エンドレの本名(ハンガリー時代の姓名)を使ったのは、いたずらっ子みたいに隠れて悪いことをすることが好きだからなのでしょう。

 コバチと密会していたゼプコ老人についてですが、これまでの描写からして、ゼプコ老人が「山の老人」と通じているということはさすがにないと思います。コバチがゼプコ老人と会おうとした理由は現時点では不明ですが、ゼプコ老人に密かに資金援助を約束して偽情報を教え、入矢たちのアトランティス探索を妨害することが目的なのかもしれません。
 あるいは、「山の老人」からの指示があり、別の目的があるのかもしれませんが、おそらくコバチは、資金援助か情報提供を約束して、軽率なゼプコ老人を呼び出したのでしょう。ゼプコ老人の性格からして、自分が先にアトランティスを発見できると思えば、一度は組んだ入矢を裏切ることにためらいはないでしょう(笑)。テネリフェ島から帰還後、エンドレ財団からゼプコ老人に報奨金が出ていますから、エンドレ財団は入矢を介さずゼプコ老人と連絡をとることも可能だったと思われます。この後はおそらく、コバチが改心し、ゼプコ老人の企みは潰えて、ゼプコ老人はバトラー神父やユリや入矢に平謝りすることになると思います(笑)。

 歴史ミステリーの部分での進展はほとんどありませんでしたが、デル=ポスト教授が紹介した「アトランティスはそれを創造した者自らが破壊した」というアリストテレスの発言は、重要な手がかりのようにも思われます。
 デル=ポスト教授もヴィルヘルム=エンドレも、アリストテレスのこの発言を重視していないようですが、人類の根源に関わる秘密を語り伝えてきたアトランティス人の中に、この秘密を人類が知ってはならないから、秘密を伝えるごく一部の人間をのぞいてアトランティスを抹殺しようと考える人が出てきて、外部勢力と通じて彼らにアトランティスを攻めさせ、その途中でアトランティスは地震で滅亡したのかもしれません。
 このアトランティスを抹殺しようと考えたアトランティス人こそ、「古き告訴人」や「山の老人」の前身で、そう考えると、「神は、御自分にかたどり人を創る前に“山の老人”に命じ彼の島を沈めた」という『ヌビア聖書』の記述や、楽園を恐ろしい何かに追われたので、その恐ろしい何かがやってくるのを監視するために海を眺めていなければならない、とするカナリア諸島の伝説を理解しやすくなるのではないか、と思います。

 まあこの予想が当るかどうかはともかく、まずはコバチとゼプコ老人との密会の目的が気になるところで、次回もたいへん楽しみです。

この記事へのコメント

kiki
2006年12月05日 23:51
劉公嗣さん、こんにちは!
入谷がメロンパンを食べていると読んで、メロンパンが食べたくなりましたョw。
リンゴの話、いいですねぇ。ひとつ腐るとみんなダメになってしまう。
教訓めいていますね。
劉公嗣さんのおっしゃるように、原作者さんは話の構成が本当に上手です。
ゼプコ老人はかなりくせ者のようですね。人間らしいというかw。
こういう端役が話をおもしろくしますねw。

ところで、「アトランティスはそれを創造した者自らが破壊した」
という言葉で、私はイスの伝説を思い出しました。
フランスのブルターニュの伝説で、イスという島の話なのですが、
ご存じですか?この島は王の娘のせいで沈んでしまうんです。
なんだか、アトランティスが関係しているような気がしてw。
2006年12月06日 21:50
kikiさん、いつもお読みいただき、
ありがとうございます。

イス伝説はアトランティス伝説を想起させる
ものがありますね。こういう人間の堕落が
原因で地震により滅亡した都市・島の伝説は、
世界的には珍しくないのですかね。
日本にも同様の事例があり、4巻に大分県の
学者が登場してマンリガ島についての説明が
ありますが、大分県には、人間の堕落で
沈んだという瓜生島伝説がありますね。

今後の予定ですが、古人類学で面白い報道が
複数あったので、『イリヤッド』12巻に
ついては、今週は述べられないかもしれません。

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