今年の古人類学界(3)ネアンデルタール人関連の議論

 ネアンデルタール人をめぐっては、今年になって重大な研究が相次いで報告され、2006年は、ネアンデルタール人研究にとって大きな進展のあった1年だったと言えるでしょう。
 新C14法による欧州旧石器時代の実年代の見直しは、当然のことながらネアンデルタール人の位置づけにも影響を及ぼしますが、この問題については、すでに今年の古人類学界(1)で取り上げたので、
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_27.html
今回は他の成果について述べていきます。

 分子遺伝学の分野では大成果があり、じゅうらいは古人骨からのDNA採取は5万年前頃が限界で、それも核DNAは無理で、ミトコンドリアDNAだけだとされていたのですが、今年になって、38000年前頃のネアンデルタール人の核DNAの採取と、10万年前頃のネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの採取に成功した、との報告がありました。核DNAの採取に成功したとのことで、ネアンデルタール人のゲノム解読も始まり、このブログでも取り上げました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200607article_21.html
11月になってゲノム解読の途中経過が報告されましたが、
https://sicambre.seesaa.net/article/200611article_16.html
注目度の高いネアンデルタール人と現生人類との混血について、ゲノム解読を進めている二つの研究チームのうち一方は混血の痕跡を見つけられなかったと報告し、もう一方のチームは混血の可能性を指摘しました。
 もっとも、ゲノム解読は始まったばかりで、どちらのチームの論文についても、現時点では、との但し書きがつきます。ネアンデルタール人のゲノム解読は2008年の完了を目処に進められていますが、今後の研究に大いに期待しています。

 ネアンデルタール人と現生人類との混血をめぐる問題については、分子遺伝学の分野から他にも混血の可能性を指摘した論文が報告されましたが、
https://sicambre.seesaa.net/article/200608article_29.html
https://sicambre.seesaa.net/article/200611article_9.html
 いずれも現代人の核DNAの分析からの推測で、直接ネアンデルタール人の核DNAと比較したわけではありません。ネアンデルタール人のゲノム解読が完了したら、現代人との直接の比較により、もっとはっきりと混血の可能性について判明するでしょう。

 じゅうらい、分子遺伝学の分野ではネアンデルタール人と現生人類との混血に否定的だったのですが、核DNAの分析の進展により、徐々にこの分野からも混血を認める研究が増加しているように思われます。
 ミトコンドリアDNAやY染色体といった、母系・父系のみの遺伝では見出せなかった痕跡が、検査技術の進歩によりとらえられるようになった、ということなのだと思います。
 おそらく今後、ネアンデルタール人と現生人類との混血の遺伝的証拠を指摘する研究が増加すると思いますが、現代人の中にネアンデルタール人由来のミトコンドリアDNAやY染色体が今のところ発見されていないということは(将来も発見されることはないでしょう)、両者の混血頻度が低かったからだと思います。

 形質人類学と考古学の分野でも、重要な研究成果が発表されました。考古学の分野では、上でも引用した8月29日分
https://sicambre.seesaa.net/article/200608article_29.html
で述べましたが、ネアンデルタール人の文化で上部旧石器的要素が認められると言われているシャテルペロン文化は、ネアンデルタール人が独自に開発したもので、ネアンデルタール人は現生人類の影響なしに象徴的思考を発達させたのではないか、と指摘する論文が報告されました。
 現生人類のアフリカ単一起源説が優勢となって以降、ネアンデルタール人の絶滅理由を説明しやすいため、ネアンデルタール人と現生人類との違いが強調され、ネアンデルタール人の知的資質は現生人類よりもかなり劣っていた、と自明の如く語られるようになりましたが(一部の古人類学者は、これを「古人類バッシング」だとして批判しましたが)、このようなネアンデルタール人観は過小評価だったのかもしれません。

 形質人類学の分野では、ネアンデルタール人研究の世界的権威であるエリック=トリンカウス教授により、ルーマニアの3万年前頃の人骨が、ネアンデルタール人と現生人類との混血を示している、との論文が報告されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200611article_4.html
 トリンカウス教授は、やたらとネアンデルタール人と現生人類との混血を認定しているといった印象があり、この見解をただちに認めるというわけにもいきませんが、上述したように、いまや分子遺伝学の分野からも混血説が指摘されるようになり、この人骨がじっさいにどうだったかはさておき、わずかながら混血のあった可能性は高いのだと 思います。
 また、ネアンデルタール人の成長速度は現生人類どころか、現生人類との共通祖先であるハイデルベルゲンシスよりも早かったとされていたのが、歯の分析から、ネアンデルタール人と現生人類との成長速度はほぼ同じだった、との論文も発表されました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_10.html

 全体的に、ネアンデルタール人は現生人類のような高度な象徴的思考能力や複雑な言語体系をもたず、現生人類とは別種で両者の混血はなかった、という見解が強調された、「古人類バッシング」が盛んだった時期と比較すると、ネアンデルタール人の「復権」が目立つ1年だったように思われます。
 これが一時的な現象で、再びネアンデルタール人と現生人類との違いが強調されるようになるのか、「復権」の傾向がさらに強まるのか、現時点では断言できませんが、私は後者の可能性が高いと思います。

 以上、3回にわたって今年の古人類学界についての回顧を述べてきましたが、10月末の時点での私なりの人類史の見通しをホームページに掲載していますので、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/052.htm
よろしければご参照ください。

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