ネアンデルタール人と現生人類との混血?

 分子遺伝学の分野から、現生人類以外のホモ属の人類集団(論文では“archaic Homo”と表記、ここでは「絶滅ホモ属」としておきます)と現生人類との混血を指摘する論文が公表されました。
http://www.pnas.org/cgi/content/abstract/0606966103v1

 論文の冒頭でも指摘されているように、絶滅ホモ属の人類集団の系統が現生人類の遺伝子プールに寄与しているのか、そうだとして、現生人類にどれだけの影響があったのかということが、現在重要な争点となっていますが、混血頻度が低ければ、遺伝的浮動により混血の痕跡を突き止めるのは困難です。しかし、強い正淘汰(正の選択圧)を受けた遺伝子座の場合は、低水準の混血でも、絶滅ホモ属の系統と混血を特定することも可能だ、と論文では指摘されています。
 この論文では、そうした遺伝子として、“microcephalin”が取り上げられています。これは脳の大きさを調節する遺伝子で、現生人類へとつながる人類の系統に正淘汰をもたらした、とされます。

 現生人類では、この遺伝子座において比較的近縁なハプロタイプの集団(「ハプログループD」と呼ばれます)は、37000年前までに登場し、正淘汰により、現代人の70%がハプログループDに属すに至っています。
 このハプログループDと他のハプログループとの分岐を調べてみると、ハプログループDの起源は、110万年前頃までに現生人類の系統とは分岐した人類集団にあり、37000年前頃までに、現生人類の遺伝子プールに侵入した、とのことです。
 これは、現生人類と絶滅ホモ属の人類集団との混血の可能性を支持するもので、現生人類と混血した絶滅ホモ属としては、ネアンデルタール人が候補となります。さらには、我々現生人類がそのような混血により新たな対立遺伝子を獲得することで、進化的に利益を得た、という考えを支持することにもなります。このようなハプログループの分岐の追及は、人類だけではなく、他の種における混血の検出にも有効かもしれない、と論文では指摘されています。

 ネアンデルタール人は現代人の祖先ではない、との見解が一般にも浸透するにあたっては、分子遺伝学の研究成果が大きな役割を果たしました。この分野からネアンデルタール人と現生人類との混血を示唆する研究はほとんどなく、両者の混血は分子遺伝学では否定されている、との認識が強くなりつつありました。
 しかし一方で、分子遺伝学からわずかながらも両者の混血を示唆する研究成果も提示されていて、その一部については、このブログの8月29日分でも触れました。
https://sicambre.seesaa.net/article/200608article_29.html

 この論文も、それらと同じく、分子遺伝学の分野としては珍しく混血説を支持しているのですが、分子遺伝学の分野から混血説を支持しているこれまで研究の場合、私が把握しているかぎりでは、どれも核内DNAを分析対象としているのは、興味深いことです。
 じゅうらい、分子遺伝学での混血説否定の根拠は、おもにミトコンドリアDNAの比較で、次いでY染色体の比較なのですが、それぞれ母系・父系のみで継承されるだけに、追跡しやすいという利点があります。
 どちらも当初は、現代人同士の比較がなされ、この結果、現代人最後の共通母系・父系祖先がどちらもわりと新しい年代だったことから(母系は20~14万年前頃、父系は6万年前頃)、現生人類のアフリカ単一起源説の有力な根拠とされました。
 また、後にはネアンデルタール人との比較もなされ、ネアンデルタール人のDNAが、母系由来のミトコンドリア・父系由来のY染色体のどちらとも、現代人やクロマニヨン人などの更新世の現生人類とも大きく異なっていたため、ネアンデルタール人と現生人類との混血は遺伝学的に否定された、との解釈が有力となりました。

 しかし、母系・父系由来の遺伝子は失われやすいという性質があります。たとえば、ある女性が息子しか産まなかったり、娘を産んでもその娘が息子しか産まなかったりした場合、たとえその女性の遺伝子が後世まで伝わっていたとしても、その女性のミトコンドリアDNAは後世には伝わりません。男性の場合でも、逆のことが容易に起き、こうした現象を偶発系統損失といいます。
 ゆえに、ネアンデルタール人と現生人類とが混血していても、ネアンデルタール人が少数派だったとしたら、ネアンデルタール人由来のミトコンドリアDNAやY染色体が、現代人に見当たらないという可能性はひじょうに高いでしょう。

 そうすると、混血の有無という問題に決着をつけるには、核内の常染色体のDNAの分析が必要となります。これは、ミトコンドリアDNAの分析が始まった1980年代から指摘されていたことですが、父系・母系双方からの遺伝があるので、ミトコンドリアDNAやY染色体よりも追跡が困難となりますから、人類の起源を分子遺伝学から追求するという目的においては、ミトコンドリアDNAやY染色体の研究よりも遅れがあったことは否めません。
 それでも、上記8月29日分で紹介したような研究成果があり、今回紹介した論文も、混血説を支持するものとなったということは、今後、核内DNAの分析が進めば、混血説を支持する研究成果が増加する可能性が高いように思われます。少なくとも、分子遺伝学ではネアンデルタール人と現生人類との混血は否定されている、といった断定は避けるべきでしょう。

 この論文では、単にネアンデルタール人と現生人類とが混血したということにかぎらず、その混血によって現生人類がネアンデルタール人から得た新たな対立遺伝子が、進化のうえで大きな利益になったのではないか、ともされています。
 それが、脳の大きさを調節する遺伝構成要素の一つの型ということで、研究が進めば、ネアンデルタール人と現生人類との関係や能力比較といった、議論の絶えない問題についても、重要な手がかりが得られるのではないか、との期待があります。

 また、この論文で提示された分析法は、他の遺伝子座や他の種においても有効だとの期待もあり、分子遺伝学の分野で、人類にかぎらず生物全般の系統問題について、重要な手がかりをもたらしてくれるかもしれません。
 2008年の完了を目標としてネアンデルタール人のゲノム解読が始まっていますので、その成果とあわせて、人類の進化についての知見が飛躍的に増大することが期待されます。

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