『イリヤッド』11巻ティトゥアン地下迷路編(4)

 9月3日分の続きです。

 このティトゥアン地下迷路編では、おもにバシャの行動がヘラクレス神話になぞらえられていて、物語の世界に入り込む効果を高めています。作中で描かれたヘラクレス神話は、以下のようなものです。

 結婚し平穏な日々を送るヘラクレスに嫉妬した女神ヘラは、ヘラクレスに「狂乱」という名の呪いをかけます。狂乱から目覚めたヘラクレスは、自分が妻子を殺してしまったことに気づき、その大罪を悔いて、私は悪夢を見ていた、そして二度と夢は見ない、と語ります。
 ヘラクレスは自らの大罪を償うため、デルポイへと赴き、巫女のピュティアにより、エウリュステウス王を訪れ、王の命じる十二の難行をやり遂げねばならない、とのアポロンの神託を受けます。さらに巫女はヘラクレスにたいして、十二の難行をやり遂げたとき、必ず安寧が訪れる、と告げます。
 西の果ての島(ヘスペリデス)から黄金の林檎を持ち帰るよう命ぜられたヘラクレスでしたが、その島の場所が分からず、途方にくれていたところ、その林檎がアトラスの三人の娘に守られていることを知り、天空を支える神であるアトラスを訪ねます。
 アトラスは、自分が西方の島に赴き、黄金の林檎を渡すよう娘を説得するから、その間、自分の代わりに天空を支えてもらえないだろうか、と述べます。無事に十二の難行をやり遂げたヘラクレスには、再び安寧が訪れました。

 誤って妻子を殺してしまい、夢を奪われたバシャが、十二番目の仕事において、入矢のけっして夢を諦めない姿勢に心を打たれて夢を取り戻すという展開は、まさにヘラクレス神話そのもので、代わりに扉を支えるという行為が、神話における天空を支えることになぞらえられています。

 さて、バシャは、どうして入矢を殺すことをやめたかというと、簡潔にいえば、夢・感情を取り戻せたから、ということでしょう。グレコ神父の勧誘にのったのも、すべての神様、ひいては人類を守るという崇高な使命にやりがいを見出し、使命をこなすことで、夢を取り戻せるかもしれない、と考えたのでしょう。しかし、殺人という行為には違いありません。それ故に、バシャは自分の行なう殺人が「正当」なものか、つねに自らに問い続けていました。
 バシャの十一番目の仕事は、古代史研究者でアトランティス研究を趣味とするデル=ポスト教授の殺害でした(ポスト教授は、ヘスペリデスこそアトランティスだと考えていました)。殺害の前に、バシャはポスト教授にいくつか問いかけています。ヘロドトス『歴史』とアトランティス伝説との関わり、アトランティス研究者を殺す秘密結社の存在にもかかわらず、アトランティス研究を続ける理由など。
 ポスト教授の殺害後、グレコ神父に会ったバシャは、ポスト教授は本当に危険人物だったのか、と尋ねています。ヘロドトス『歴史』とアトランティス伝説との関わりを否定したポスト教授が危険人物だったのか、つまり、自分の行為が崇高な使命といえるのか、つねに確認しておきたかったのでしょう。

 これは、十二番目の仕事、すなわち入矢殺害の任務のときも変わりません。「山の老人」のほうがもし正しかったとしたら?などと入矢に問いかけていますが、単に報酬が目当ての殺し屋なら、普通はこんな問いかけはしないでしょう。バシャはつねに、殺害相手が殺さねばならない人物か探り、みずからの行為の正当性を確認しておきたかったのです。
 バシャが入矢に自分の悲しい過去を語る気になったのは、夢を奪われた人がいたら、なぜそうなったのか相手の気がすむまで話を聞くことしかできない、と語った入矢を、同じように試そうとしたから、ともいえますし、あるいは、自分の苦悩を解決してくれるのではないか、とひそかに思ったためだ、とも解釈できますが、バシャの話を聞いて涙を流した入矢に感謝するとともに、その人間性への敬意も芽生えたのでしょう。
 また、入矢の人間性へのバシャの敬意は、重傷を負って絶体絶命の危機にあっても、けっして夢を諦めようとしない入矢の姿勢を見てのものでもあるのでしょう。

 バシャは、けっして夢を諦めようとせず、自分の話を聞いて涙を流してくれた入矢を見て、あるいは入矢の言うとおり、自分は夢を取り戻せるのではないかと思い、瞑想に入ったのでしょう。
 その結果、夢の見られたバシャは、もう入矢を殺す必要がなくなります。夢を取り戻すために、グレコ神父の指令にしたがってアトランティス研究者を殺害していたのですから、夢が戻ったいじょう、もう殺す必要はありません。しかし、夢を取り戻すために多くの人々を殺してしまったいじょう、幸せに暮らすことはできないので、誤って焼き殺してしまった妻子のところに行く、すなわち自殺するという選択になったのでしょう。

 このティトゥアン地下迷路編は、歴史ミステリー・サスペンス・ヒューマンストーリーという『イリヤッド』の三つの側面がたくみに融合した物語となっており、『イリヤッド』を、単行本別ではなく、話の流れで分類した場合、もっとも優れた物語だったと思います。
 現在進行中の始皇帝編は、今のところ、三つの側面がうまく溶け合ってなかなか面白い出来になっています。始皇帝編が後何話続くか分かりませんが、最終的には、ティトゥアン地下迷路編を超える面白さになってくれれば・・・と期待しています。

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