ネアンデルタール人ではなく、現生人類が進化の孤立者?
人類の進化系統図において、よく現生人類の系統が本流でネアンデルタール人が側枝として描かれることが多いのですが、化石記録からは、むしろその逆がいえるのではないか、との報道がありました。
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2006-09/wuis-mhn090706.php
http://www.livescience.com/othernews/060908_humans_odd.html
http://www.msnbc.msn.com/id/14737491/
論文はネットにて有料公開されています。論文の執筆者は、ネアンデルタール人研究の世界的権威であるエリック=トリンカウス教授で、その概略は以下のようなものです。
環境や生活様式による磨耗によって大きな影響を受けない、遺伝標識と思われる特徴(顎や歯など)を特定し、慎重に検討すると、現生人類の派生的特徴はネアンデルタール人の2倍あることが認められました。つまり、人類史を広く見渡したうえで現生人類とネアンデルタール人を比較すると、ネアンデルタール人のほうが正常で、現生人類が異常となります。
我々が問うべきなのは、現生人類にしか見られない、眼窩上隆起の退化や顔面の縮小といった特徴であり、これまで、ネアンデルタール人が我々現生人類と異なる形態で、人類の進化史において異端的存在で側枝であった、との認識は改めるべきで、むしろその逆なのではないか、というわけです。
トリンカウス教授の指摘は、現代人の思考形式の弱点をついたものであり、いわば逆転の発想です。ネアンデルタール人と現生人類とを比較して、ネアンデルタール人のほうが他の古人類と共通する特徴をもち、現生人類に、それら古人類とは異なるさまざまな特徴が見られることは、古人類学者なら誰でも認めるところなのでしょうが、いざ人類の系統図を描いたり、人類の進化史を叙述したりするとなると、現生人類が本流でネアンデルタール人が側枝であるとなりがちです。
もちろん、現生人類は現代も生存し、ネアンデルタール人は絶滅していますし、どうしても我々現生人類中心に考えてしまいがちなのですが、より客観的になろうとすると、トリンカウス教授の指摘のほうに妥当性があるというべきでしょう。
http://www.eurekalert.org/pub_releases/2006-09/wuis-mhn090706.php
http://www.livescience.com/othernews/060908_humans_odd.html
http://www.msnbc.msn.com/id/14737491/
論文はネットにて有料公開されています。論文の執筆者は、ネアンデルタール人研究の世界的権威であるエリック=トリンカウス教授で、その概略は以下のようなものです。
環境や生活様式による磨耗によって大きな影響を受けない、遺伝標識と思われる特徴(顎や歯など)を特定し、慎重に検討すると、現生人類の派生的特徴はネアンデルタール人の2倍あることが認められました。つまり、人類史を広く見渡したうえで現生人類とネアンデルタール人を比較すると、ネアンデルタール人のほうが正常で、現生人類が異常となります。
我々が問うべきなのは、現生人類にしか見られない、眼窩上隆起の退化や顔面の縮小といった特徴であり、これまで、ネアンデルタール人が我々現生人類と異なる形態で、人類の進化史において異端的存在で側枝であった、との認識は改めるべきで、むしろその逆なのではないか、というわけです。
トリンカウス教授の指摘は、現代人の思考形式の弱点をついたものであり、いわば逆転の発想です。ネアンデルタール人と現生人類とを比較して、ネアンデルタール人のほうが他の古人類と共通する特徴をもち、現生人類に、それら古人類とは異なるさまざまな特徴が見られることは、古人類学者なら誰でも認めるところなのでしょうが、いざ人類の系統図を描いたり、人類の進化史を叙述したりするとなると、現生人類が本流でネアンデルタール人が側枝であるとなりがちです。
もちろん、現生人類は現代も生存し、ネアンデルタール人は絶滅していますし、どうしても我々現生人類中心に考えてしまいがちなのですが、より客観的になろうとすると、トリンカウス教授の指摘のほうに妥当性があるというべきでしょう。
この記事へのコメント
ホモサピエンス中心主義な解釈もできると思う。