合理的信仰の発達

 たまには歴史の話を、ということで、信仰における合理主義の発達についてちょっと述べてみようと思います。
 ここでまず問題となるのが、合理的とはどういうことなのかということですが、現代人の多数からみて、筋道だって説明可能になっていること、という意味合いと定義しておきます。
 合理的信仰の発達とはいっても、世界各地で様相が異なるでしょうが、今回は日本について述べていくことにします。

 近年、日本の基調は縄文時代に形成された、との主張が目立つようになりましたが、正直なところ、これは証明不能ですし、さまざまな傍証からいっても、疑問とすべきでしょう。
 各神社における伝承もありますが、日本における神祇信仰を考えるさいに、根本史料となるのは、『古事記』と『日本書紀』です。この記紀において、皇祖神であるアマテラス信仰の成立に、『金光明経』の影響が指摘されています。
 江戸時代の国学者は、仏教や儒教に影響されてない「日本古来の信仰」を記紀や『万葉集』に求めようとしましたが、それはきわめて困難というか、ほとんど不可能な作業だったように思います。仏教の影響抜きに、記紀を解釈することはできないでしょう。もっとも、その国学者の見解は、江戸時代以降の日本人の歴史観・宗教観をつよく拘束しているのですが・・・。

 それはさておき、本題についてです。古代日本の神は、しばしば人間に祟るのですが、それは、人間にとって理不尽なものでした。
 なぜ神が人間に害をもたらすのか、人間には分かりませんから、神にお伺いをたてると、神から人間へ祟りをしずめるための行為が要求されますが、なぜその行為が祟りをしずめることになるのか、人間にはよく分かりません。
 神は理不尽な存在であり、人間は、神のお告げに平伏し、その通りに実行するしか祟りをしずめる方法はないわけです。

 ところが中世になると、神(もちろん日本の神は、仏教信仰と密接に関係しているわけですが)が変容してきます。簡潔にいえば、人間にとって不可解な祟る神から、基準の明確な賞罰をくだす神への変化です。
 人間には神への信仰が要求され、その信仰度合いにより、神は人間に賞罰をくだします。賞罰の基準はあらかじめ定められていて、神からの一方的な指令ではなく、人間の側からの作用が重要な意味をもちます。
 これは、人間にとって明確な因果関係が把握できるという意味で、信仰における合理主義の発達と評価できます。しかしながら一方で、これは神が人間にたいする絶対性を喪失したとも評価できますから、神の地位の長期的な低下の始まりであるともいえます。
 日本の近世・近代における宗教の地位低下は、この合理的信仰の発達に起因するとの評価も可能でしょう。

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