現生人類の起源(4)
前回(8月1日分)の続きです。
多地域進化説の変化を述べてきましたが、ネアンデルタール人が現生人類に吸収されたと主張するようになったことも、重要な変化といえるでしょう。
じゅうらいの多地域進化説では、各地域ごとの連続性が重視され、人の移動という考えには否定的だったのですが、次々と不利な事実が明らかになり、路線変更せざるをえなくなりました。
以前の多地域進化説では、ネアンデルタール人は、文化の発展とともにその頑丈な体格を華奢な体格に進化させ、クロマニヨン人になった、とされていたのですが、近年では、数的にネアンデルタール人を圧倒する外来のクロマニヨン人との通婚により、その特徴を失っていって「滅亡」した、とされています。以前のウォルポフ氏であれば、とても容認できないような見解といえるでしょう。
このように見解が変わった要因は、分子生物学と新たな年代観にあります。まずは前者から述べていきますと、1987年に発表されたミトコンドリアDNAの研究(イヴ仮説)は、多地域進化説の印象を一気に悪化させました。人類の最終の共通母系祖先が28~14万年前あたりに(研究チームは、おそらくは20万年前ころと推定)存在したとするこのイヴ仮説は、その後の検証により、使用ソフトに問題があったと証明され、基本的には誤りだったとされています。
ただ、人類の最終の共通母系祖先が20万年前ころ存在したという結論自体は、その後の多くのミトコンドリアDNAの研究でもおおむね正しかったとされています(年代は30万年前~10万年前までの誤差が見込まれていますが)。これは、100万年前に世界各地に拡散した人類が、各地で絶滅することなく進化したとする多地域進化説にとっては、たいへん都合の悪い年代観となります。
また、ネアンデルタール人骨からミトコンドリアDNAが採取され分析されたのですが、その塩基配列が、現代人とは大きく異なることが判明したのも(発表は1997年)、多地域進化説にとっては大打撃でした。それにたいして、多地域進化説ではネアンデルタール人の子孫とされるクロマニヨン人のミトコンドリアDNAは、現代人の範囲内でした。
その後、5体分のネアンデルタール人のミトコンドリアDNAが分析され、今年になってからは核DNAの分析もされていますが、いずれにおいても、ネアンデルタール人と現代人の違いの大きさが証明されました。
次に新たな年代観についてですが、多地域進化説にとって大打撃となったのは、なんといってもレヴァントの洞窟群で発掘された人骨群の新年代でした(発表は1988年)。
レヴァントの洞窟群では、典型的なネアンデルタール人と現生人類の人骨とともに、両者の中間的な人骨も発見されていて、人類単一種説や多地域進化説が有力だったころには、ネアンデルタール人→両者の中間種→現生人類と進化した、と考えられていたのですが、新たな年代測定により、ネアンデルタール人よりも古い現生人類の存在(10万年前ころ)が明らかになりました。
また、アフリカにおいても、10万年前にさかのぼる現生人類の存在が報告されるようになり、ネアンデルタール人は4万年前までは存在していたわけですから、ネアンデルタール人→現生人類という多地域進化説における図式に矛盾が生じました。
この矛盾を解消するために、多地域進化説派は、これらは同一種内の違いにすぎない、と主張するようになり、それを推し進めて、ホモ=サピエンスは180万年前から存在していた、との見解にいたったのです。
ただ、ネアンデルタール人も現生人類も同一種とはいっても、明らかな違いがあることは、多地域進化説派といえども認めざるをえません。そこで、冒頭で述べたように、ネアンデルタール人は、数的に優位な侵入者であるクロマニヨン人との通婚により、クロマニヨン人に吸収された結果、固有の解剖学的・遺伝的特徴を喪失した、と多地域進化説派は主張するようになりました。
ホモ=サピエンスという種は、180万年前より存在していたのであり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も同一種なのだから、通婚の障害にはならなかった、というわけです。
また、多地域進化説の最大の根拠とされた、ジャワのエレクトス→オーストラリアの先住民アボリジニーの連続性も、ジャワのエレクトスが、年代が下るにつれて現生人類には見られない特殊な形質を強めていることが証明されたことにより、その根拠を失ったといえるでしょう。
アボリジニーについても、多地域進化説を何とか活かすには、数的に劣勢なジャワのエレクトスが侵入してきた現生人類に吸収されたと解釈するしかないだろうと思われます。
このように、かつての主張からはずいぶんと変わってきた多地域進化説ですが、それだけ追い込まれてきているということなのでしょう。今では省みられることのなくなったプレサピエンス説の没落と重なって見えます。
多地域進化説の変化を述べてきましたが、ネアンデルタール人が現生人類に吸収されたと主張するようになったことも、重要な変化といえるでしょう。
じゅうらいの多地域進化説では、各地域ごとの連続性が重視され、人の移動という考えには否定的だったのですが、次々と不利な事実が明らかになり、路線変更せざるをえなくなりました。
以前の多地域進化説では、ネアンデルタール人は、文化の発展とともにその頑丈な体格を華奢な体格に進化させ、クロマニヨン人になった、とされていたのですが、近年では、数的にネアンデルタール人を圧倒する外来のクロマニヨン人との通婚により、その特徴を失っていって「滅亡」した、とされています。以前のウォルポフ氏であれば、とても容認できないような見解といえるでしょう。
このように見解が変わった要因は、分子生物学と新たな年代観にあります。まずは前者から述べていきますと、1987年に発表されたミトコンドリアDNAの研究(イヴ仮説)は、多地域進化説の印象を一気に悪化させました。人類の最終の共通母系祖先が28~14万年前あたりに(研究チームは、おそらくは20万年前ころと推定)存在したとするこのイヴ仮説は、その後の検証により、使用ソフトに問題があったと証明され、基本的には誤りだったとされています。
ただ、人類の最終の共通母系祖先が20万年前ころ存在したという結論自体は、その後の多くのミトコンドリアDNAの研究でもおおむね正しかったとされています(年代は30万年前~10万年前までの誤差が見込まれていますが)。これは、100万年前に世界各地に拡散した人類が、各地で絶滅することなく進化したとする多地域進化説にとっては、たいへん都合の悪い年代観となります。
また、ネアンデルタール人骨からミトコンドリアDNAが採取され分析されたのですが、その塩基配列が、現代人とは大きく異なることが判明したのも(発表は1997年)、多地域進化説にとっては大打撃でした。それにたいして、多地域進化説ではネアンデルタール人の子孫とされるクロマニヨン人のミトコンドリアDNAは、現代人の範囲内でした。
その後、5体分のネアンデルタール人のミトコンドリアDNAが分析され、今年になってからは核DNAの分析もされていますが、いずれにおいても、ネアンデルタール人と現代人の違いの大きさが証明されました。
次に新たな年代観についてですが、多地域進化説にとって大打撃となったのは、なんといってもレヴァントの洞窟群で発掘された人骨群の新年代でした(発表は1988年)。
レヴァントの洞窟群では、典型的なネアンデルタール人と現生人類の人骨とともに、両者の中間的な人骨も発見されていて、人類単一種説や多地域進化説が有力だったころには、ネアンデルタール人→両者の中間種→現生人類と進化した、と考えられていたのですが、新たな年代測定により、ネアンデルタール人よりも古い現生人類の存在(10万年前ころ)が明らかになりました。
また、アフリカにおいても、10万年前にさかのぼる現生人類の存在が報告されるようになり、ネアンデルタール人は4万年前までは存在していたわけですから、ネアンデルタール人→現生人類という多地域進化説における図式に矛盾が生じました。
この矛盾を解消するために、多地域進化説派は、これらは同一種内の違いにすぎない、と主張するようになり、それを推し進めて、ホモ=サピエンスは180万年前から存在していた、との見解にいたったのです。
ただ、ネアンデルタール人も現生人類も同一種とはいっても、明らかな違いがあることは、多地域進化説派といえども認めざるをえません。そこで、冒頭で述べたように、ネアンデルタール人は、数的に優位な侵入者であるクロマニヨン人との通婚により、クロマニヨン人に吸収された結果、固有の解剖学的・遺伝的特徴を喪失した、と多地域進化説派は主張するようになりました。
ホモ=サピエンスという種は、180万年前より存在していたのであり、ネアンデルタール人もクロマニヨン人も同一種なのだから、通婚の障害にはならなかった、というわけです。
また、多地域進化説の最大の根拠とされた、ジャワのエレクトス→オーストラリアの先住民アボリジニーの連続性も、ジャワのエレクトスが、年代が下るにつれて現生人類には見られない特殊な形質を強めていることが証明されたことにより、その根拠を失ったといえるでしょう。
アボリジニーについても、多地域進化説を何とか活かすには、数的に劣勢なジャワのエレクトスが侵入してきた現生人類に吸収されたと解釈するしかないだろうと思われます。
このように、かつての主張からはずいぶんと変わってきた多地域進化説ですが、それだけ追い込まれてきているということなのでしょう。今では省みられることのなくなったプレサピエンス説の没落と重なって見えます。
この記事へのコメント