現生人類の起源(3)

 前回(7月27日分)の続きです。

 ウォルポフ氏は、大幅な修正を余儀なくされました。このとき、ウォルポフ氏にとって新たなパートナーとなったのが、オーストラリアのソーン氏でした。ソーン氏は、人類史における、地域間の変異とその連続性に注目していました。
 これにたいして、同時代における人類の同一性を強調するウォルポフ氏は、各地域間の差異は、人類進化における些細な問題であるとして、ソーン氏の説を軽視していました。

 ウォルポフ氏が自説を変えるきっかけとなったのが、資金援助をうけて世界各地の人骨を見て回る研究旅行に出かけ、インドネシアを訪れたときのことでした。ここでエレクトス化石を修復したウォルポフ氏は、いわゆるジャワ原人とオーストラリアの先住民アボリジニーとの間に類似性を見出し、ソーン氏の説に妥当性を認めたのです。
 ウォルポフ氏はソーン氏に謝罪し、共同研究を始めました。その結果となえられたのが、多地域進化説です。これは、原人段階でアフリカから世界各地に進出した人類が、世界各地で派生形質を獲得し、その特徴を維持しつつ、旧人段階を経て新人へと進化したというものです。ソーン氏の考えを基盤としつつ、人類単一種説の否定されていない点(文化を人類進化の主因とすることなど)を継承して確立された説といえます。後には、中国の研究者も加わり、多地域進化説は地域的な広がりをみせました。

 ところがこの説には、進化論の原則からみると致命的といえる弱点がありました。それは、原人段階で世界各地に拡散した人類が同一種に進化したとするのは、平行進化を認めることになるのではないか、というものです。
 ウォルポフ氏とソーン氏は大家だけに、あらかじめこの疑問にたいする回答を用意していました。それは、各地域間で一定以上の通婚(遺伝子交換)があったため、別種に分化せず、同一種としてのまとまりを維持し続けた、というものです。
 この見解は、多地域進化説がとなえられる半世紀近く前に、人類学の大家であるワイデンライヒ氏の主張した説とよく似ており、正直なところ私には、多地域進化説はワイデンライヒ説の焼き直しに思えてなりません。

 それはともかくとして、多地域進化説におけるこの説明にたいして、集団遺伝学者はおおむね否定的で、100万年以上にわたって広大な地域の人類を一つの種に維持しておくだけの通婚を想定するのは無理だ、と主張しました。
 これにたいするウォルポフ氏の反論はありましたが、やはり苦しいことは否めません。1990年代半ば以降、ホモ=サピエンスは180万年前から存在しており、エレクトスもしくはエルガスターと分類される約150万年前の「トゥルカナボーイ」と現代人との相違は時間的な差でしかなく、いわゆる原人が登場して以降、同時代のホモ属の間の相違は種内変異にすぎない、とウォルポフ氏が主張するようになったのは、平行進化との批判をかわし、何とか多地域進化説を生き残らせようとするための苦肉の策といえるでしょう。

 「トゥルカナボーイ」と現代人との違いは明らかですが、ここで考えねばならないのは、種の違いとはそもそも何なのか、ということです。生物種とは、自然な状態で(これも定義が難しいのですが)生殖が行われ、その子孫が代々維持されていくような集団(馬とロバのように、生殖行為の結果として子が生まれても、その子に生殖能力がなければ、同種とはいえません)、ということになるでしょうが、常識的に考えてみても分かるように、化石からそのようなことが証明できるわけではなく、古生物と現存生物との比較も難しいものがあります。
 近年の多地域進化説は、この種区分の難しさを、いわば逆手にとったといえるでしょう。じっさい、「トゥルカナボーイ」の属した人類集団と現代人とが同一種か否か、証明するのは無理だと思われます。
 ただ、頭部や脊柱管などの点で、「トゥルカナボーイ」と現代人との違いはやはり大きく、円滑に意思疎通ができるか、疑問もあります。やはり両者は別種である考えるほうがよさそうで、多地域進化説の主張にはかなりの無理があるといえるでしょう。

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