『イリヤッド』99話「ピツラの恋」

 現在、『イリヤッド』の単行本は10巻まで刊行されています。最新の話は『ビッグコミックオリジナル』7/5号掲載の99話「ピツラの恋」です。その前号の98話「アラビア奇談」にて、物語は新展開を迎えました。
 以前、入矢はモロッコのティトゥアンの地下迷宮にて、アトランティスと関係あると思われる一つの壺を発見しました(この話は、7月28日発売予定の11巻に収められるはずです)。その壺は、どうやら古代イスラエルの王ソロモンが最強の魔物を封じ込めたとされるものらしいのですが、その壺の中にはネアンデルタール人の骨が入っていました。これが何を意味するのかは、後日改めて考察する予定ですが、いまはおいておきます。
 「ソロモン王の壺」は複数あり、その一つが始皇帝陵にある可能性が、ゼプコ老人より語られます。このゼプコ老人は、入矢・バトラー神父とともにカナリア諸島を訪れた、老人とは思えない体力・行動力の持ち主で、快活な性格をしています。「山の老人」との対決では頼もしい味方になってくれそうです。じっさい、カナリア諸島では「山の老人」の襲撃から逃れるさいに活躍しました。このゼプコ老人が、始皇帝陵の盗掘を計画しています。

 ここまでが前号での話で、今回は、人情話を中心としつつ、この情報を裏づける史料の調査が描かれます。今回の主要登場人物は、ピツラ教授・ピツラ教授の秘書ヴェスナ・バトラー神父の三人です。珍しく、主人公の入矢は登場しません。
 ピツラ教授の初登場は2巻です。入矢は、クロアチアのドゥブロヴニクにある「聖ミリオオンテ教会(永遠の炎の教会)」で『東方見聞録』の祖本を発見し、始皇帝やイエスに関する記述など、出版された『東方見聞録』にはない記述に気づき、クロアチアのザグレブにある歴史考古学博物館に鑑定を依頼しますが、当初は祖本ではなく写本としてしか評価されません。そこで入矢は、これが祖本であることを証明しようとして、その参考になりそうな『死海文書から見たキリスト人間説』の著者ピツラ教授がクロアチア人であることを思い出し、ピツラ教授を訪ねます。
 その当時のピツラ教授は、教え子の論文から盗作して『死海文書から見たキリスト人間説』を執筆したこと、にもかかわらず、ユーゴ内戦の中で自分の命を助けてくれたその教え子を死に追いやったことへの後悔から、アル中になり、妻子に去られていました。しかし、入矢の夢を諦めない情熱にうたれて立ち直り、入矢の発見した原稿が写本ではなく祖本の可能性がある、と歴史考古学博物館にて熱弁をふるい、そのかいあって、歴史考古学博物館の館員たちは祖本であるか検証することを決め、ピツラ教授がそれを担当することになります。
 以前にも述べましたが、『イリヤッド』においては、ピツラ教授のように、挫折したり心に傷を負ったりした人物が、入矢の夢を諦めない姿勢に感動して立ち直る話がよくでてきます。また、『イリヤッド』の主題(と私が考えている)「人類がぜったい知るべきではない、太古の呪われた秘密」が人類から夢を奪うと示唆されているように、「夢」は、『イリヤッド』における重要なキーワードなのです。
 『東方見聞録』の祖本には、始皇帝陵にアトランティスと思われる都市の絵が描かれているとの記述がある、と2巻にて触れられています。この伏線が、新展開にてようやく活かされようとしているわけです。98話以降は、単行本では13巻所収になるでしょうから、ネタふりからずいぶんと時間が経ったものです。こんな感じで過去の伏線が今後活きてくるとしたら、物語が完結するのは当分先ということになりそうです。じっくり描かれているほうが楽しめるとの期待もありますが、だれるのではないかとの不安もあります。もっとも私は、これまでの作品の質の高さからして、あまり不安はしておらず、期待のほうが大きいわけですが。

 予備知識の説明がたいへん長くなってしまいましたので、もういい加減に99話に移りましょう。ソロモン王の壺(『東方見聞録』の祖本では「玉」となっています)のひとつが始皇帝陵にある可能性を知った入矢は、ピツラ教授に、『東方見聞録』の祖本に該当する記述がないか、問い合わせるとともに、バトラー神父をザグレブの歴史考古学博物館に派遣します。このバトラー神父はアル中でして、元アル中のピツラ教授との組み合わせは、原作者のセンスの良さを感じます。
 バトラー神父と会ったピツラ教授ですが、どうも心ここにあらずといった感じです。バトラー神父は、ピツラ教授が女性秘書のヴェスナ(ユーゴ内戦で著名なジャーナリストの夫を失う)に恋をしているからだと見抜きますが、ピツラ教授はこの恋に踏み出すことをためらっています。アル中が原因で妻子に去られ、その妻が三年前に死んでいたことを最近知ったピツラ教授は、自分に新たな恋をする資格があるのだろうか、と思っているのです。バトラー神父はピツラ教授を励まし、ヴェスナも招いた三人の食事の席で、強引に二人に結婚を誓わせます。

 今回の人情話の部分はここまで。本題のアトランティスに関する展開では、『東方見聞録』の祖本から新たな情報が得られました。入矢からの問い合わせを受けて、ピツラ教授は、北西アフリカから中国の西安に来た妖術師が、地元の若者から始皇帝陵に眠る「ソロモンの玉」の話を聞いて興味を抱き、墓を暴いて世界に三つしかない「玉」の一つを発見したが、「玉」と若者を置き去りにして帰った、との記述を見つけ(年代は明示されていません)、入矢にメールで知らせます。
 入矢からは、妖術師がなぜ「玉」を奪い去らなかったのか、との問い合わせがあったのですが、最初にバトラー神父と会った時点では、ピツラ教授は秘書のヴェスナに気を奪われていて、回答はできません。その後、上記のようにバトラー神父のはからいで恋が成就したピツラ教授は、酔いつぶれたバトラー神父をホテルに運んだ後、研究に集中できるようになったのか、答えを導き出します。西安を訪れた妖術師は、地元の若者が「玉」に興味をもっていると聞きつけ、同行の士のふりをして言葉巧みに近づき、「玉」を埋め戻し若者を生き埋めにしたというのです。

 つまり、妖術師は「山の老人」の一員であり、始皇帝陵にアトランティスと関係あると思われるソロモン王の壺が眠ることを、「山の老人」は昔より知っているということになります。入矢とゼプコ老人が始皇帝陵に赴けば、とうぜん「山の老人」から命を狙われることになりそうです。次号からは、中国での冒険譚が始まるのかもしれません。
 ここで疑問なのは、アトランティス文明の痕跡を抹消しようとしている「山の老人」が、なぜ「玉」を埋め戻したのかということです。「玉」に興味をもった若者を生き埋めにするくらいですから、アトランティスと関係が深いのでしょうが、若者を殺害しただけで、「玉」を破壊しなかった理由が不明です。この「玉」に何が入っていたのか、残り一つの「玉」はどこにあるのかという点も含めて、次号以降での謎解きに期待したいところです。
 また今回、ピツラ教授がヴェスナを家まで送る途中で、出版された『東方見聞録』と祖本との違いを説明したさい、イエスが神の正体についてたいへんな秘密を握っていたとの話がでてきます。これは、「人類がぜったい知るべきではない、太古の呪われた秘密」の核心に迫る情報だと思われますが、この点については後日改めて検証しようと思います。
 うーん、次号が楽しみだなあ(笑)。

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