現生人類の起源(2)

 前回(7月25日分)の続きです。

 ホモ=サピエンスは180万年前から存在していたとするウォルポフ氏の見解は、苦境に立たされた多地域進化説を何とか生き残らせようとしたからなのでしょうが、多くの人々にとって、無理だと思われていることは否定できません。
 このような見解が登場した背景を探るには、多地域進化説の成立過程をみておく必要があると思われますので、今日は、多地域進化説について簡潔に述べていくことにします。

 多地域進化の主唱者の一人であるウォルポフ氏は、もともとはミシガン大学のブレイス氏とともに、人類単一種説の主唱者でした。ウォルポフ氏の論文に注目したブレイス氏が、ウォルポフ氏をミシガン大学に招いたのです。
 人類単一種説とは、人類は誕生以降ずっと単一種だったのであり、文化の進歩が、人類進化において重要な役割を果たしてきた、とするものです。じゅうらいより洗練された道具を使うようになり、人類は頑丈な体つきを必要としなくなって、華奢な体つきになった、というわけです。
 また、最初の人類猿人はアフリカに登場し、原人へと進化した後、アメリカやオーストラリアをのぞく世界各地に進出していき、各地で旧人から新人へと進化したが、同時代の各地域の解剖学的差異は、種内変異の範囲内におさまるものである、とも主張されました。
 この人類単一種説は、ほぼ同時代にあまりにも異なる形態の人骨が存在していたことが明らかになり、破綻しました。ケニアのトゥルカナ湖岸から、原人の人骨と、いわゆる頑丈型猿人の人骨とが、同時代(約150万年前)の地層から発見されたのです。こうして、1970年代半ばには、人類単一種説は消え去ることになりました。

 ・・・とここまで述べてきましたが、長くなりそうなので、続きは後日に回します。

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