現生人類の起源(1)
古人類学において、一般の関心がもっとも高いのは、人類の起源がどの年代までさかのぼるのか、ということでしょう。1990年代以降、人類の起源はどんどんさかのぼっていき、ついには700万年前との可能性も指摘されるようになりました。
私が高校生のころ使用していた『詳説世界史』(山川出版社1989年)では、最古の人類猿人の出現は約250万年前にさかのぼる、とされていたわけですから、ずいぶんと年代がさかのぼったものです。
もっとも、500万年前をさかのぼるとされる古人類のうち、どれだけが本当に人類と認められるのかという点については、まだ異論もあり、確定したとは言いがたいところがあります。
私は、人類の起源より現生人類の起源のほうに関心があるのですが、こちらも、1980年代以降、劇的に見解が変わってきたといえるでしょう。同じく『詳説世界史』では、「洪積世の後期から末期(約4万~1万年前)にかけて、新人すなわち現生人類があらわれた」とされています。
ところが現代では、現生人類の起源が20万年前近くまでさかのぼる可能性がでてきました。もっとも、オモ1号の年代推定によるこの20万年前という数値には異論が根強くあり、確定したとはいえません。
ただ、アフリカやレヴァントの他の事例からして、10万年前ころの現生人類の存在は否定しがたく、また、やや「原始的」な現生人類が16万年前に存在したことはほぼ確実となっています。
これらは、文化の進歩にともなう、世界各地での5~4万年前の旧人から新人への進化、という旧来の多地域進化説を破綻に追い込み、分子生物学からも支持されている現生人類のアフリカ単一起源説への支持は決定的になりました。
では、多地域進化説派はどうしたのかというと、代表的論者であるミルフォード=ウォルポフ氏は、1990年代半ば以降、ホモ=サピエンスは180万年前から存在していた、と主張されています。
普通は、エルガスターまたはエレクトスとされる人類と現代人との違いは種間の違いではなく、種内の違いにすぎない、というわけです。たいへん苦しい主張と思われますが、従来の多地域進化説を、その欠陥を補正しつつ何とか活かそうとすれば、このような無理な主張にならざるをえないのでしょう。
ただ、さすがにウォルポフ氏は大家だけあって、一見すると無理な主張なのですが、その中には、人類進化について考えるさいに重要な問題点が含まれているように思われます。こうした点もふくめて、現生人類の起源についてはまた後日述べていこうと思います。
私が高校生のころ使用していた『詳説世界史』(山川出版社1989年)では、最古の人類猿人の出現は約250万年前にさかのぼる、とされていたわけですから、ずいぶんと年代がさかのぼったものです。
もっとも、500万年前をさかのぼるとされる古人類のうち、どれだけが本当に人類と認められるのかという点については、まだ異論もあり、確定したとは言いがたいところがあります。
私は、人類の起源より現生人類の起源のほうに関心があるのですが、こちらも、1980年代以降、劇的に見解が変わってきたといえるでしょう。同じく『詳説世界史』では、「洪積世の後期から末期(約4万~1万年前)にかけて、新人すなわち現生人類があらわれた」とされています。
ところが現代では、現生人類の起源が20万年前近くまでさかのぼる可能性がでてきました。もっとも、オモ1号の年代推定によるこの20万年前という数値には異論が根強くあり、確定したとはいえません。
ただ、アフリカやレヴァントの他の事例からして、10万年前ころの現生人類の存在は否定しがたく、また、やや「原始的」な現生人類が16万年前に存在したことはほぼ確実となっています。
これらは、文化の進歩にともなう、世界各地での5~4万年前の旧人から新人への進化、という旧来の多地域進化説を破綻に追い込み、分子生物学からも支持されている現生人類のアフリカ単一起源説への支持は決定的になりました。
では、多地域進化説派はどうしたのかというと、代表的論者であるミルフォード=ウォルポフ氏は、1990年代半ば以降、ホモ=サピエンスは180万年前から存在していた、と主張されています。
普通は、エルガスターまたはエレクトスとされる人類と現代人との違いは種間の違いではなく、種内の違いにすぎない、というわけです。たいへん苦しい主張と思われますが、従来の多地域進化説を、その欠陥を補正しつつ何とか活かそうとすれば、このような無理な主張にならざるをえないのでしょう。
ただ、さすがにウォルポフ氏は大家だけあって、一見すると無理な主張なのですが、その中には、人類進化について考えるさいに重要な問題点が含まれているように思われます。こうした点もふくめて、現生人類の起源についてはまた後日述べていこうと思います。
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